【今だから語れる涙と笑いの酒人生】

 池乃めだかさん(コメディアン/76歳)

 芸能生活56年。ネクタイより身長が低いギャグや猫のモノマネで知られる「ちっさいオッさん」の池乃めだかさん。お酒とともに生きてきた半生と破天荒な吉本芸人の生きざまをたっぷり聞いた。

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「酒屋なんか、大人になったら機関銃で全部潰したるわ……」

 小学校3、4年の頃、ずっとこんなこと思てましたわ。「そんな過激な!!」と怒られそうやけど、当時は酒にエエ思い出がないんです。

 オトンが脳出血で亡くなったのは3歳の時。以来13歳年上の兄貴とオカンの3人暮らし。オカンは家で洋裁の針仕事、兄貴は鉄工所の工員してました。針仕事いうても、あったりなかったりで単価も安い。そら貧乏やった。

 それでも兄貴は20歳すぎたら彼女もできて、家にはあんまりおらんようになるでしょ。オカンにしたら話し相手を取られたみたいで寂しいてしゃあなかったんやろね。夜な夜な家で芋焼酎飲んで憂さ晴らししとったんよ。で、飲み干してしまうと、僕が一升瓶持たされて酒屋へ量り売りを買いに行かされるんですわ。飲み切ったらそこでやめときゃエエのに、歯止めがきかんから雨の日でも真冬のクソ寒い時でも……。しかも、金がないからたった1合や。記憶にあるのは寒い晩ですわ。ドラマやないけどね、悲しいて悲しいて空を見上げたら満天の星。キラキラ瞬いとってね、ホンマきれいやった。

 それやのに中学卒業後、三洋電機に工員として入社して、だんだん酒のイメージは変わっていきよった。周りはほとんど大人。当然、酒の席が増えますわね。人それぞれやけど、たいがいが陽気になるでしょ? 酒もエエもんやな、と。そのうち上司から「おまえオモロイから」言われて、宴会部長を任されるようになったんです。

 プログラム考えて、ベニヤ板に鉄線張ったニセモンのエレキギター抱えて、カツラかぶった仲間とビートルズのマネしてみたり……。それがお笑い、芸能へのきっかけになったんやからホンマ世の中、わからんもんです(笑い)。

 デビューは1966年。吉本興業に入ったのは76年です。当時は良し悪し別にして破天荒な芸人が多かった。「芸人たるもの、普通にしとって何しとんじゃ。せやから売れんのじゃ」いう時代。

■横山やすしは水割り2杯で人格が変わった

 その頃の吉本酒豪ベスト3はまず4代目林家小染師匠。よーけ飲みはるし、酒癖もよろしくなかった。朝から酒臭いのは当たり前。京都花月では酔っぱらった揚げ句、高座に上がってチン○ン丸出しですよ。「そんな粗末なモン、見に来たんちゃうぞ」ってやじられても平気の平左。最後は酔った揚げ句に居酒屋から道路に飛び出して、トラックに轢かれて亡くなられはりました。

 2番目は新喜劇で一世風靡した花紀京さんかなあ。朝、楽屋に入ってくるなり、若手芸人に日本酒のワンカップ買いにいかせて、クーッと一気飲み。まあ、日課みたいなもんで、ホンマにおいしそうに飲みはるんですわ。それで舞台へ出てボーンと笑いとってくる。名人芸やったね。

 3番目は去年の5月に亡くなられた木村進さん。若い時から大の酒好きで年中、酒臭かった。アルコール依存症みたいなとこがあって飲まなおれんかったんでしょう。ある時、知り合いのスナックに営業で行くのにタクシーに乗ったら、ウイスキーのポケット瓶出して飲みはるんです。23歳で新喜劇の座長になったほど芸達者やのに、シャイなんやね。しらふではお客さんの前に立たれへん。

 それは「奥目の八ちゃん」こと岡八朗さんも同じ。強くないのに、強度のあがり症をゴマカすために、お酒に頼って依存症になったんですよ。

 酒に飲まれて失敗したいうと、横山やすしさんは外せませんわね。水割り2杯ほどで人格が変わり、相手かまわず、「おいコラ!」「なんじゃボケ!!」。そらケンカになりますわ。才能がある人やったのに、ホンマにもったいない。

 僕でっか? 駆け出しの頃、酔っぱらって宿泊先で石油ストーブを一晩中つけっぱなしにして寝たら、一酸化炭素中毒で死にかけましてね。それから控えめ。命あっての物種ですわ(笑い)。