【私の人生を変えた一曲】

 大月みやこさん(歌手・74歳)

 演歌の大御所である大月みやこさん。デビューは50年以上前。自らを「落第生」と語る歌手人生に転機が訪れたのは……。

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 子供の頃から歌手になろうと思ったことはなかったんですよ。最初、お稽古ごとは童謡を習っていました。でも、ラジオからは美空ひばりさんや三橋美智也さんのヒット曲が流れている。子供ながらに「どんぐりころころ」みたいなのは嫌、歌謡曲を習いたい……。

 たまたま近所に歌が好きなご夫婦がいらして「いい声だから、歌謡曲を習わせたら」と言ってくださって、歌謡曲の学校に習いに行きました。生徒の半分以上は歌手になりたいのに、私はその気が全然なくて。子供のクラスに入って楽しく歌って過ごしました。

 当時は年に1回、日本コロムビアの全国歌謡コンクールがあった時代です。各地の大会を勝ち進んできた代表が日比谷公会堂で一堂に会して決勝大会で歌い、優勝した男女各1人が歌手デビューできる。だから、歌手になりたい人はみんなチャレンジしました。私より後から学校に入ってきて優勝し、コロムビアからデビューした人も3人いたほどです。

 私はというと、予選を受けて一回も受からなかった。それで大学に進学するかとか、歌謡学校もやめようかと迷っていたんですね。そんな時に大阪のキングレコードが歌がうまい新人を探しているという話があって、学校が歌を吹き込んだテープを東京のキングに送ったんです。それを聴いてキングが何人かテストしたいという中に私も選ばれました。どうせ受からないし、歌をやめるキッカケになると思って、オーディションを受けることにしました。

 1964(昭和39)年の春のことです。東海道新幹線が10月1日に開業、五輪の開催は10月10日から。大阪との間は特急で6時間くらいかかっていたのが4時間に短縮され、東京はどこも工事、工事でものすごい勢いで変化して活気にあふれていた。一度東京を見ておくだけでもいいかなと気楽に考えて上京しました。

 ところが、受けてみたら「才能があるし、東京に出てきませんか」と言われ、意外でした。でも親は歌手になるのに反対で、私自身も積極的に歌手になるつもりはなかったのですが、大阪に戻ったら「いつ出てこれますか」と何度も電話がかかってきました。

 上京したら、もう曲ができていました。デビューも6月20日に決まってとんとん拍子。歌手になるって割と簡単だなと生意気にも思いました。

■星野哲郎さんと船村徹さんからの注文は…

 所属はキングの中の芸能部。すぐにキングのスターの三橋さん、春日八郎さん、ペギー葉山さん、江利チエミさん、岸洋子さんにお会いすることもできました。当時はレコード会社が制作する歌番組があった時代で、新人歌手として歌うこともできました。でも、三橋さん、春日さんにお願いして地方巡業について回って、前座で歌わせてもらいました。新人なのにお客さまから拍手をもらえてこんなに楽しくて幸せなことはない。なおかつステージの袖からスターの生の声を聴くこともできる。そんな日々が12、13年続きました。

 当時は歌番曲全盛。歌手はテレビに出て何十万枚のヒット曲を出す華やかな時代です。でも、私はとても充実していて売れたいとか、何万枚のヒットを飛ばしたいとか考えたこともなかったし、人を羨ましいと思ったこともなかった。

 今日も気持ちよく歌えたし、いい曲だなと思えるだけで十分……。そんな私が変わったのが今のスタッフと「女の港」との出合いです。そこまで20年かかりましたね。

 スタッフが言うわけです。「僕たちが大月みやこを一生懸命つくっているのに自分だけいい気持ちになっていたらダメ。曲を聴く人に届けてくれないと困る」。上がってきた「女の港」は星野哲郎作詞、船村徹作曲。レコーディングで初めてお目にかかったら、おふたりとも「もっと聴く人に届くように歌ってほしい」とスタッフと同じことをおっしゃる。プロフェッショナルとしては10人聴いてくれたら7人に感動を届けないといけない。そう思いました。ああ、私はそんなこともわからず、落第生だったんだわとちょっと悩みました。遅かりし、ですよね。

 ショックだったのは体調がよくて、いい気分で最高にいい声が出たかなと思った時に「今日、調子悪い?」と真逆のことを言われた時ですね。それで「女の港」を境にそれまでとは歌の作り方を変えました。わからないようにナチュラルに。

 私は音楽賞にも縁がなかったんですよ。「女の港」は83年発売。スタッフが「この曲は絶対にアピールする」という自信があって、発売後1年8カ月は新曲を用意しなかった。30万枚のヒットになって紅白に出場したのが86年。発売から1年以上すぎていたので、レコ大の資格はありませんでした。

  ―――紅白は96年まで10回出場。92年「白い海峡」で第34回日本レコード大賞を受賞した。

「女の港」を出した時にキングは売りたいからスナックとか夜のキャンペーンの予定を組んでいたのに、私は断った。押し売りは嫌なんです。それは今も変わりません。やっぱり歌手としては落第生なのかな(笑い)。

(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)