麻雀クラブで、戦牌している様子を見ると、ボヤく、愚痴る、責めるのオンパレード。ツイてない、下手くそ、バカだよと、自分を罵る声が交錯している。

 それは人が失敗を恐れ、完璧に事を運ぶのに拘泥する気持ちが強いのを示している。欲張りなのだ。

「夫れ境、心に随って変ず、心は境を逐って移る」

 弘法大師空海の言葉である。環境は心のありようによって変わり、心は環境によって移り変わる。麻雀に即して考えると同じ手段、同じ結果でも打ち手の受け止め方で違ったものになると取れる。

 また、こんな言葉も残した。

「物の貴賤は師の別くと別かざることなり」

 含蓄があり、難解な空海の言葉。物の価値は、大勢の見る人の判断で決まるので、物に備わっているわけではないと説く。人の心の大切さを述べている。

■なぜ「發」の対子落としだったのか

 実戦譜は第1期麻雀名人戦(「週刊大衆」主催)、“雀聖”阿佐田哲也さんのものである。

 配牌を見て、「三萬」自摸の後、第1打牌に何を選ぶか考えてほしい。

 第1自摸「三萬」の後、打牌に中ぶくれの「三筒」を選ぶ人もいるだろう。そうすると、2巡目の「六索」引きで、聴牌になる。「發」が雀頭の愚形だが、「エイッ」と「五索」切りでリーチをかける打ち手もいるだろう。名人戦に裏ドラはないから、これだと栄和で1300点だ。

 阿佐田さんの第1打牌は「發」の対子落としだった。

 手なりの進行を拒み、この配牌の価値を最大限に引き出す狙い。2巡目、阿佐田さんは「六筒」を引き、「三筒」を捨てている。

 雀聖の目標は、三色同順の一点になった。必要な牌は「二索」と「四萬」。この牌譜が紙面を飾ることを考え、手牌の可能性を最大限に引き出そうとしている。牌譜の貴賤は、打ち手の想像力によって決まると思える。

 断っておくが、「發」雀頭のリーチが、いつもいけないわけではない。トップで逃げ切りを図る時、ツキ親を蹴りにいく時など作戦的に許される場合もある。

 阿佐田さんが「二索」を引いて聴牌したのは摸打9巡目だが、2巡回してリーチをかけた。その理由は5巡目にツモ切りしたドラ「白」が他家にポンされたことにあった。そうでなければ、黙聴で回して、「一萬」を見逃したと思う。ドラを鳴かせてはそうもいかず、安目「一萬」で栄和した。

 画竜点睛を欠くとでも言うか、苦労しても最後のツメがうまくいかないのは、麻雀では普通のこと。手役を育てるプロセスに苦心しても、あがり牌が安目では「ツイてない!」とわめきたくなる。

 しかし、麻雀の面白さは、こうした不条理にもあるのではないか。その点も、人生にそっくりである。

 阿佐田哲也さんは、ツイてるツイてないという言葉は口にしなかった。手役志向の強い麻雀を打ち続け、結果にはこだわらなかった印象がある。

 麻雀は打ち手によって格調が生まれるゲームだと、結びたい。

▽おことわり 当欄の筆者である板坂康弘さんが6月15日、神経内分泌がんのため、亡くなられました。享年85。この連載は生前書き残したものであり、しばらく遺稿の掲載を続けていきます。(日刊ゲンダイ 編集部)