【芸能記者稼業 血風録】#22

 芸人が不倫で騒がれる時代だが、昔の芸人は「芸の肥やし」とばかりに「飲む・打つ・買う」が当たり前の世界だった。

 やす・きよ漫才のボケで人気を博した横山やすしさん(享年51)はそんな芸人かたぎを受け継いだように酒と喧嘩と競艇だった。

 自由奔放に生きた希代の漫才師が亡くなったのは1996年1月。死因はアルコール性肝硬変。通称“やっさん”は無類の酒好き。二日酔いで出演することも日常茶飯事。私も何度となく一緒に飲み、その凄さを目の当たりにしていた。

 88年11月、長男の木村一八が六本木で乗車拒否され、タクシー運転手を暴行、逮捕された。父親もタクシー運転手とはよく喧嘩していたが、酒、喧嘩まで親子は似てしまうのかと世間をあきれさせた。

 運転手は脳挫傷の重症。一八は二十歳に近い19歳。俳優として活動していたこともあり、実名報道された。事件発生後、囲み取材に応じたやっさんは、女性リポーターから親の責任を問われ、「おい、姉ちゃん。俺は子供のしつけに厳しかったぞ。男は喧嘩するぐらいがちょうどいい」と威勢よく言い返したが、一八に少年院送りの厳しい処分が下されると、「ホンマにすみませんでした」と平謝り。自身も謹慎を申し出た。

■木村一八の暴行事件で自宅を訪ねたが…

 大阪の自宅で謹慎生活を送っていたやっさん。「本当におとなしくしているのか」という声も流れるなか、別な注目もあった。一八との面談や手紙の内容、出所の時期……。

 数カ月経った頃、以前から交流のあった私は、やっさんの自宅を訪ねた。

 大阪の中心地から離れた摂津市の住宅街の庶民的な2階建ての一軒家。

「ここは裏が川。俺のボート(競艇用)を係留することができるのや」と自慢のボートを見せてもらったこともあった。

「朝早く来い」と言われ、大阪に前泊。朝9時ごろ家に伺うと自ら玄関を開け、「おう」と片手を上げるいつもの挨拶。「近くの喫茶店に行こう」と即座に飛び出した。引き留める嫁に「取材や。すぐ帰る」の言葉を残し、ラフな格好ながらトレードマークの帽子は忘れない。がに股で早歩き。すこぶる元気そう。5分ほど歩いて喫茶店に入った。

 お客はモーニングのコーヒーとトーストで新聞を読む昭和の光景があった。私も「コーヒー」と注文した瞬間、「いらん、そんなもん。ビールや」といきなりビールを注文。「おまえも飲め」と朝から喫茶店でビールを飲むことになった。それでも取材ができればと思い一緒に飲むが、話はボートのことばかり。時々、相方の西川きよしら芸人仲間の話。核心の話を聞けない。

「ところで、一八さんは」と聞く。「そんなこと、ここで聞くな!」と一喝される。嫌な予感が頭をよぎるが、こうなれば持久戦だ。とことん付き合って話を聞き出す覚悟を決めたが、それは長〜い一日の始まりに過ぎなかった。 (つづく)

(二田一比古/ジャーナリスト)