【芸能記者稼業 血風録】#23

 長男の一八は少年院。父の横山やすしは自宅謹慎中のなか、私は取材を兼ねて大阪の自宅を訪ねていた。意に反して朝から喫茶店でビールを飲み終えると、タクシーで連れて行かれたのが梅田界隈にある居酒屋だった。

 やっさん馴染みの店もランチタイムの最中。通された奥の個室に入ると聞きつけたのか、それとも呼び出されたのか、続々とボート仲間らが駆け付ける。昼から酒盛りが始まった。昼飲みは大阪では珍しくない。

■「オマエも飲んでるか」

 本来、一八からの手紙や出所日を聞き出すのが目的だったのが、早々に私は蚊帳の外。盛り上がる仲間との話を聞いているしかない。時折、「オマエも飲んでるか」と声はかけてくれる。すでにご機嫌。やっさんとの飲み方を多少は心得ている私は長丁場を覚悟。少しずつ飲む量を減らした。

 2時のランチタイムが終了してもやっさんたちはお構いなし。用事のある仲間は三々五々、散っていき、ようやく3時すぎにお開きになった。まだ何も聞き出していない焦りから、「場所を変えましょう」と私のほうから次の店に誘った。

「おう、俺の知っている寿司屋に行こう。腹減ったやろ」と再びタクシーで移動。向かった先は法善寺横丁にあった寿司屋。頑固そうなオヤジさんと娘さんで切り盛りするカウンター8席ほどの小さな店。あれほど威勢のよかったやっさんが、ここではおとなしい。オヤジさんの話し相手になっている。

 以前、飛び込みで入った寿司屋では「ヘネシーくれや」とブランデーを買いに行かせていた。当時、ブランデーがブームだったとはいえ、マグロやウニにブランデーは合わない。それでも「意外とおいしい」と言うのが精いっぱい。やっさんとうまく付き合う方法だった。

 大将は、「うちの明石のタイは粗塩で食べろ」と言うこだわり派。やっさんも素直に従い、出された寿司を食べていた。普段、食べない人も朝9時から胃のなかはほとんど酒。腹ごしらえもするものだ。後に、この寿司屋の謎を在阪の芸能関係者に聞いた。

「やっさんが売れていない頃から世話になっている寿司屋。義理を大切にする昔かたぎのあるやっさん。こういう店は大切にする」

 寿司は食べ終わったが肝心な話は聞けていない。半ば諦め、「奥さんが心配しているから帰りましょう」とタクシーを止めると、乗車した途端、私の意思を確認することなく、運転手に難波方面を指示。行きつけの居酒屋に直行した。時間は夜7時すぎ。サラリーマンでほぼいっぱいだったが、店も心得たもので奥座敷を用意した。

 知り合いの客を見つけ「こっちで一緒に飲もう」と誘う。いつの間にか人は増え、お座敷は車座状態。誰が誰なのかもわからない。やっさんも次第に声が大きくなり絶好調。謹慎生活など、どこ吹く風。夜の部の宴会が始まった。=つづく)


(二田一比古/ジャーナリスト)