CMはおなじみでも中身は…なぜ子供は昔話を知らないのか

CMはおなじみでも中身は…なぜ子供は昔話を知らないのか

 桃から生まれた男の子が犬、猿、キジを連れて鬼退治へ。そんな昔話は親に読み聞かせてもらったり、「ぼーやー」でおなじみの「まんが日本昔ばなし」で見たりして親しみ、何となく覚えているものだろう。しかし、最近の中学生たちはこうだ。

「auのCMもあるし、桃太郎の存在は知ってるけど、話は知らない」

「金太郎って何者?」

 大学生たちに聞いても似たり寄ったりだ。

「さるかに合戦? 笠地蔵? 何ですか、それ」

 昔話は消えつつあるようだ。公立中学の国語教師はこう話す。

「35年近く教職にいますが、最近の子供に通じないのは、昔話だけではありません。ことわざや慣用句もまったく通じなくなったことを感じています。思い当たるのは、親たちがそれらを日常生活で使わなくなったのがひとつ。もうひとつは、多面的な考え方の影響です。昔話は、悪や正義を偶像化・擬人化して、単純で一方的な勧善懲悪的なストーリーですが、そういう物語は減りつつある。多様性を重視し、一面的なものの見方を排除しようという考えが働いているからでしょう。しかし単純だからこそ、想像を膨らませ、成長していく過程で足りない面を考えられるようになることがあるのですが……」

 なぜ桃太郎の仲間は、犬と猿とキジなのか。鬼退治は本当に正義なのか――。そんな考えを巡らせるのも昔話の面白さ。教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏もこう続ける。

「昔話は、日常では直接的に経験することのできない特殊でわかりやすい状況設定の中で、誰がどんな気持ちになるのか、そのとき人はどのようにふるまうのか、その帰結がどうなるのかを学ぶいい材料。文学の入り口といってもいいでしょう。ですが、自分の子も含め、今の子供たちはあまり知らないし、子供も実感しています。テレビの『まんが日本昔ばなし』が打ち切りになったのも大きいでしょうね」

 昔話が失われてもいいのだろうか。

「理屈で考えると、昔話がなくなれば子供たちの価値判断は、普遍的な基準より各家庭の価値基準にゆだねられる部分が大きくなるでしょう。価値観の多様性という意味では悪いことばかりではないと思いますが。仮に昔話が消えていくとすれば、それに代わるものが必要になると思います。でも、昔話のような絶対的・普遍的価値を教えるものではなく、大人と一緒に子供たち自身が考える、正解のない物語かもしれません」

 ゲームやネット動画などが、昔話に代わって価値基準を構築させるコンテンツになりつつある。それでいいのか、考えてみるときかもしれない。

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