新型コロナウイルスによって、志村けんさん(享年70)や岡江久美子さん(享年63)が亡くなった。そして、生死に携わる僧侶やお寺も変化を求められつつある。

「仏像を有する本堂や御朱印の授与などが休止になりました。室内墓所のため、墓参りの規制も検討されましたが、日々の墓参りを心の安寧につなげている人もいると感じているので、僧侶としてはなるべく規制しないようにしたいです」

 そう語ってくれたのは、観光寺としても有名な東京・五百羅漢寺の佐山住職。他にも法事のキャンセルが続き、お彼岸の法要も全て中止になったという。しかし、人が存在する限り「死」は必ずやってくる。どんなに混乱極まろうと葬儀をしないわけにはいかない。

 とはいえ葬儀の参加人数も減少傾向にあり、通夜や葬儀後の会食を中止にしたり、火葬場への同行を近しい家族以外は遠慮するなどの配慮をせざるを得ない状況だそうだ。

 もともと、寺離れが深刻化している昨今。今回のコロナウイルスで経済的にも精神的にもダメージを受けているお寺も少なくはない。地方の葬儀自体には、まださほど影響は出ていないようだが、頭を悩ますお寺も確実に増えていくだろう。

法要をネット配信

 実際に、葬儀でのクラスター感染防止として直葬や、後日葬などの対策を考えたり、法要をネット配信したりとお寺ごとに工夫を凝らしている。

 長年、アイドルグループのプロデュースや、フリーペーパーの創刊など、さまざまなお寺のあり方を発信してきた京都・龍岸寺の池口住職はこう語る。

「情報は知れば知るほど不安になるところがあります。科学もやっぱり万能ではない。歴史的に見れば、多くの人が80歳、90歳まで生きられる時代なんて現代以外にないわけで、命の不安と隣り合わせで生きている方が当たり前です。こういう機会に命のありがたさとか、仏像やお寺が身近にあることの心強さとかが認識されていく良いきっかけになればと思います」

 人間はコロナウイルスをきっかけに、初めて真正面から「生死」や「ちゃんとお別れする意義」を考えることになるのかもしれない。さらに人間にとって「生きること」が、あまりにも「当たり前」になり過ぎていたため、未知のウイルスに直面した今、「当たり前のように生きられないこと」に不安を感じているのだ。

 人間が命のあり方を問われていると同時に、僧侶にとっては「お寺という場所」や「僧侶」の本質を自分たちに問いただすきっかけにもなっているのかもしれない。

 僧侶というのはもともと、職業ではなく「ライフスタイル=生き方」を表すものだった。それが江戸時代に檀家制度が生まれ、本格的に葬儀=僧侶という図式が誕生した。従来通りのお寺として機能することはもはや難しそうだが、「前を向かなくてはいけない」という僧侶のSNS投稿もチラホラ見かける。僧侶やお寺はどう変わっていくのだろうか。

(取材・文=仏像オタクニスト SALLiA)