【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#6

 松井秀喜(2)

 ◇  ◇  ◇

 寮生だった松井秀喜は、ナイター後に帰寮すると、食事の後、30分〜1時間ほど素振りをするのが日課だった。

 二軍の打撃コーチだった私も当時は寮に住み込んでいた。2階が一軍部屋で松井は私の隣の隣の部屋だった。私はヤクザものの映画が好きで、休前日などにレンタルDVDを部屋で観賞していた。深夜、寮内の自動販売機にジュースを買いに行くと、松井はいつも黙々とバットを振っていた。寝るのは深夜2時半から3時ごろだと聞いた。それから7、8時間ほど睡眠を取り、昼すぎに東京ドームに入っていた。

 長嶋監督はこの頃、松井秀喜の「4番1000日計画」を掲げ、連日マンツーマン指導を行っていた。

 遠征先の場合、選手は11時前に球団が借りているホテルの大広間でスイングをしてから昼食を取る。その時、松井は長嶋監督のところで個人レッスンを受けていた。5分の時も30分の時もある。その後、ミーティングをしてからバスで球場入りするという流れだった。私は松井に長嶋監督からどんなアドバイスをされたか、内容を聞くようにしていた。

「構えた姿を後ろから見られて『今日はもういいよ』と言われました」

「バットスイングの音を聞いていて、それが変わったからOKが出ました」

■「シュッ」「ブーン」の音の違い

 バットのヘッドが走ると「シュッ」という短くて高い音がする。余計なところに力が入ると、「ブーン」という音がするというのだ。

 長嶋監督の指導法は勉強になった。自分の目から投手が投げるボールに「仮想のラインをつくる」と話していた。松井は構えて投手を見た後、顎を引いて下を見ていた。あれはその「ライン」をつくるための動作だった。

 調子が悪くなると背中が丸まってくる。長嶋監督はよく「始動を早めに取りなさい」とアドバイスを送っていた。左打者なので東京ドームのベンチからは背中が見える。背番号「55」がねじれたりすれば一目瞭然になるよう、いつも同じ場所に立った。下半身に体重が乗っているかも見た。

■移籍前年からメジャー意識で広角打法

 2001年まではほとんどの打球が中堅からライト方向で引っ張り専門だった。それが02年は左翼方向へ流し打つケースが増え、50本を放ち、3度目の本塁打王に輝いた。03年からヤンキースへFA移籍したことで、なるほどと思った。メジャーの「動く球」に対応するため、1年前からギリギリまで呼び込み、広角に打てるよう取り込んでいたのだ。

 そんな松井が「剛」なら、「柔」の長距離打者は、昨季限りで引退した阿部慎之助である。

(内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)