【名将・野村克也 ボヤキの内幕】#2

「日刊ゲンダイ? オマエんとこはノースピークや」

 初対面の挨拶で、いきなりぶすっと言われた。

 野村監督ヤクルト就任1年目。アリゾナ州ユマ・キャンプ初日。クラブハウスの前で、報道陣が監督を囲んでいる。その前で取材拒否。さらに監督、右腕を伸ばし、人さし指をあらぬ方向へ向けて、「あっちへ行け」と、通告した。

 記念すべき監督1年目のキャンプ初日。プロ野球界ではお正月にあたるときのことだった。

 原因には心当たりがあった。キャンプ前に、ゲンダイは野村監督を「殺していた」からだ。

 キャンプ1週間ほど前のこと、野村監督は慶応病院に緊急入院した。これを球団は伏せて、報道陣が動いた。この大事な時期に何があったのか。

「やばいらしいよ」

 球団内部の情報源が、声を潜めて「動脈瘤だってさ。あの人、久々でしょ、ユニホーム着るの。体動かしてないし、何たってユマは砂漠だからね。田舎で、まともなレストランもない。息子の団、連れて行くっていうんでしょ。何かあったときの用心じゃないの」

 この情報と動脈瘤の危険を過大に解釈して、下手すりゃ野村監督「棺桶に入って帰国も」という、センセーショナルな報道をした。

 それが野村監督の逆鱗に触れていた。しかし取材拒否まで、とは予想外だった。やむを得ず、監督の囲み取材を離れた。

 アリゾナの空は青く、空気は乾燥して、さわやかな風が心地よい。2月とは思えない好天なのに、この仕打ちは参った。

■「そんなヤツと話すな」

 仕方なく周辺取材。当時の主力打者、杉浦享に話を聞いた。新監督の印象など取材していると、遠くから監督の声。

「おーい、杉浦。そんなヤツと話すな。殺されるぞ」

 100メートル近くはあろうかというクラブハウスの前から、両手をメガホン代わりにして、大声を上げたのだ。

 やはり、野村監督を「殺した」のが悪かった。

 しかし、野村監督殺人報道には、隠れた思惑があった。野村監督への期待が大きかったのだ。

 当時、ヤクルトは最下位常連球団だった。しかも巨人のお助けマンなどと揶揄されるほど、ひどい評価をされていた。

 そこへ野村監督の登場である。就任直後から、注目発言をしていた。

「野球はアタマでするものだ」

 というのが、中でも魅力的なフレーズだった。これまでにない、監督像を見せてくれそうな気がした。それがセンセーショナルな扱いの隠れた理由だったのだが、野村監督に、それは通じていなかった。 =つづく

(林壮行/元 日刊ゲンダイ運動部長)