【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】#15

 僕が一軍に定着するようになった1990年、広沢克実さん(58)はすでに主砲としてバリバリのレギュラーでした。

 野村監督が就任した90年からは多くの試合で4番広沢さん、5番池山さんのタッグ。ふたりが並んだ「HI砲」を覚えているファンも多いと思います。

 その広沢さんは豪快で明るく、いい兄貴分。チームのみんなに慕われていました。もともとおおらかな性格なんでしょうね。広沢さんが怒ったり、声を荒らげる姿はほとんど見たことがありません。むしろ、率先してチームを盛り上げていました。

 広沢さんの周囲には常に人が集まり、その中心で、ずっとひとりでしゃべっている。いろんなエピソードを、オーバーにひと盛り、ふた盛りして話すので、面白いんですよ。

 試合でも、こんなことがありました。広沢さんが三振してベンチに戻ってくると、目を丸くしてオーバーなリアクションをしながらナインにこう言うわけです。

「あのピッチャーのスライダーはすげえぞ。こっちからこっちまで曲がるんだよ。あれじゃあ打てんわ」

 その「こっちからこっち」の範囲が広いこと広いこと。腕を伸ばした先から自分の懐までボールが曲がるというんですから、聞いてるこっちは戦々恐々ですよ。恐る恐る打席に立つと、確かに変化球の曲がりが大きい投手。でも、当たり前ですが、広沢さんの言うほどではない。

 そんな広沢さんの“癖”を知っている選手の中には「また言ってるよ」なんて笑っている人もいました。僕も当初はうのみにしていましたが、慣れてくるとむしろそのジョークで緊張感がほぐれるようになった。あれは広沢さんなりに、チームの雰囲気を考えた上で努めて明るく振る舞っていたのかもしれません。

■「飲め飲め」より「食え食え」

 食事に連れていってもらうこともありました。広沢さんは大酒飲みではなく、僕も実はお酒が苦手。だから後輩にも飲め飲めとは言わず、ひたすら「食え食え」でした。

 そんな敬愛すべき先輩だったので、94年オフに巨人にFA移籍したときは寂しかったですね。とはいえ、こればかりは本人の選択なので、僕らがどうこう言っても仕方ない。FA権を取得した選手については、チーム内で去就がウワサされるもの。本人に直撃した選手がいたかどうかは知りませんが、なんとなく「移籍するんじゃないか」という雰囲気にはなっていました。当時はFA移籍が活性化してきた時期ですからね。

 巨人やその次に移籍した阪神では満足に活躍できなかった……と言われることもありますが、それでも僕らヤクルト選手にとっては、いまも面白い兄貴分です。

(飯田 哲也/元ヤクルトスワローズ)