【権藤博の「奔放主義」】

 2013年に亡くなられた川上哲治さんがご存命なら、今年3月23日で100歳を迎えられるはずだった。4月8日に熊本で開催予定だった「生誕100年記念」の巨人―中日戦をはじめ、その偉業を振り返るさまざまなイベントはこのコロナ禍で延期を余儀なくされた。そこで今回は、川上さんとの思い出を書きたい。

 私がプロの世界に飛び込んだ1961年は、くしくも川上さんの巨人監督1年目だった。実は前年の夏のこと、社会人のブリヂストンタイヤに所属していた私に巨人から声がかかっていた。日鉄二瀬の補強選手として出場した都市対抗で好投が目に留まったのか、当時の球団社長とスカウト、そして水原茂監督と会う予定になっていたのだが、直前に水原監督の退任と川上ヘッドコーチの監督就任が決まり、水原さんとの対面はかなわなかった。

 巨人からは「どの球団よりも高い契約金を出す」と過分な評価をいただいたものの、先に条件提示を受けた中日にお世話になることに決めた。天下の水原さんと対面して直接、「力を貸してくれ。君、頼むよ」と口説かれていたら、二つ返事でOKしていたと思う。巡り合わせの妙だが、縁がなかったのだろう。

■「ムチャクチャだったよ、アンタは」

 そんな私が1年目に35勝、中日は最終的に優勝した巨人には及ばなかったが、就任1年目の川上監督を最後の最後まで苦しめた。のちに川上さんから、「権藤くんにはヒヤヒヤさせられたどころじゃない。ムチャクチャだったよ、アンタは」と言われたときは、光栄に思った。佐賀生まれの私からすれば、同じ九州の熊本出身の川上さんはヒーローの中のヒーロー。そんな“神様”に認められた気がして、短かった現役生活に誇りを持てた。

 川上さんの言葉でもうひとつ、印象的なものがある。あれは、私が指導者人生を歩み始めて2年目、中日の二軍投手コーチとして悪戦苦闘していた頃だ。評論家として取材に来られた川上さんに挨拶に出向くと、「権藤くん」とこう言われた。

「いいかい、若い選手をガンガン怒っちゃいかんよ。怒るならベテランを怒りなさい」

 ハッとした。当時の私はまだ血気盛んな36歳。二軍選手と接していてつい、口調が激しくなることがあった。頭ごなしに叱っても若手は萎縮するだけ。ベテランに厳しく接してチームを律し、若い選手は伸び伸びと育てる。以来、これが指導者としての私の大きな指針のひとつになった。

 不滅の金字塔V9はONの力によるところが大きい。しかし、組織マネジメント力にも長けていた川上監督だからこそ成し遂げられた偉業だと改めて思う。

(権藤博・野球評論家)