【あの人は今こうしている】

 ザ・グレート・カブキさん(72歳・元プロレスラー)

 プロレスがテレビのゴールデンタイムを賑わせていた1980年代。歌舞伎風のペインティングに鎖帷子、ヌンチャクを両手に大暴れしたプロレスラーが登場し、大人気だった。本日登場の怪奇派レスラー、ザ・グレート・カブキさんだ。今、どうしているのか?

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「飲食店を始めたのが、いったんリングを降りた98年だったから、厨房に立つようになって早いもので22年になるね。最初は曙橋でちゃんこ屋、すぐに飯田橋に移って『串焼き・ちゃんこ かぶき』を始めて、その後、今の店名に変えたんだよ」

 ザ・グレート・カブキさんと会ったのは、都内文京区小石川にある居酒屋「BIG DADDY酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」。プロレスの聖地・後楽園ホールから歩いて約20分の住宅地だ。

「ここはもともと女房の実家でね。リフォームして2016年3月22日に心機一転、再スタートを切ったんだ。客席数は飯田橋時代の約半分、12席ほど。でも家賃はかからないし、広さ的には女房と2人で切り盛りするならちょうどいい。俺、もう72歳なんだから無理はしたくないよ。アハハハ」

 店内には、ジャイアント馬場、三沢光晴、スタン・ハンセンら同時代を駆け抜けた名選手たちの写真が飾られ、プロレス感満点。

「お客さんの8割くらいがプロレスファン。うれしいことに、ドリー・ファンクJr、テリー・ファンク兄弟とか、現役時代に戦った外国人レスラーも来日すると寄ってくれる」と目を細める。

 カブキさん自らが包丁を握る料理も評判がいい。1番人気は牛スジやギアラなどを赤味噌で煮込む「かぶちゃん煮」、鶏肉をバーべキューソースをつけながら焼いて仕上げる「ドリー・テリー焼き」、「牛レバーステーキ」などが好評だ。

 今年1月には一人娘の映理さんが第1子となる長女・夢実ちゃんを出産。SNSには、孫を抱いて頬を緩めるカブキさん夫妻の写真がたびたび投稿されている。

「実は米国に最初の嫁との子どもが4人いて、孫は7人いるんだ。だから俺としては8人目。ママ(安子夫人)も皆に会ってて公認なんだ」

 武藤敬司の化身、グレート・ムタは米国では「カブキの息子」だが、当然ながらギミックだ。

毒霧のアイディアはシャワー中に着想

 さて、1948年9月8日、宮崎県延岡市に生まれたカブキさんは、中学卒業直後の64年3月、故・力道山率いる日本プロレスに入団。同年10月に宮城県石巻大会で山本小鉄さんを相手にデビューした。

 そして70年に渡米。武者修行を続けながら全日本プロレスに移籍し、日米両方のマットで頭角を現した。

 ザ・グレート・カブキが誕生したのは、81年のテキサス州ダラス。当時のマネジャー、ゲーリー・ハートのアイデアだった。

「法被や般若の面をつけた連獅子姿とか、鎖帷子に鎧兜、手には日本刀って忍者風のコスチュームでリングネームも変えたら、大ウケしたんだよ」

 さらに緑と赤の毒霧を吹き上げるパフォーマンスで人気は不動となった。

「シャワー浴びてた時に、口に含んだ水を天井に向けて吹き上げたら照明に映えて虹が出た。『これだ!』って思ったね」

 試行錯誤して見栄えのいい緑と赤にたどり着き、会場では照明の位置によって吹き上げる方向を変えたという。

「ギャラも上がった。それまで週に200とか300ドルだったのが500、1000、2000と急増して、ビッグマッチは1試合で2万ドル。1ドルが250円前後だったからデカいよね。ただ、その頃の家族に全額送ってたから、俺は見てないんだけどさ。アハハハハ」

 83年に逆輸入で凱旋帰国。全日本プロレスではジャイアント馬場をもしのぐ大人気で、どこの会場でもひと目見たさに観客が押し寄せたものだ。

 その後は、SWS、WAR、新日本の平成維震軍などで98年まで活躍。プロレス活動を休止して以降も、昨年4月に引退した女子プロレスラー、コマンド・ボリショイ選手らにヌンチャクを指導するなど、プロレス界ではレジェンドとして君臨してきた。

 なお、1月25日に越中詩郎らと共著で「平成維震軍『覇』道に生きた男たち」(辰巳出版)を出版。昭和、平成のプロレス界の実像を紹介している。

(取材・文=高鍬真之)