プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。

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ノムラの教えは金メダルへ昇華させる。侍ジャパン稲葉監督は11日、ヤクルト時代の恩師の死去に思いをはせた。「昨年12月に監督を囲む会があり、誘っていただいたが時間が取れなかった。今年もう1回、その会をやろうと…。参加できなくて非常に後悔している」。最後に会ったのは18年1月。前年12月に亡くなった沙知代夫人への弔問で自宅を訪ねた。だが大勝負の五輪を前に再会はかなわなかった。

出会いが人生を変えた。「大学で通算6本塁打なのに、息子の克則の試合を見に来た時に2本も打った」。野村監督が編成を説き、3位指名してくれた。「稲葉−(引く)野球はゼロになるな」。野球人である前に社会人であれ。「監督に恥はかかせられない」と努力を幾重も重ねた。「アイツは真面目な男や!」の褒め言葉は忘れられない。

代表監督になり、メディアを通じてNPBでの監督経験がないことなど課題を指摘されてきた。「叱咤(しった)激励をたくさん頂いた。野村監督らしい、愛情のある言葉だと。非難されているうちは僕に成長がある。言葉は励みになり、五輪を勝ったら褒められるだろうと思っていた。それも聞けなくなる寂しさがある。立派な監督になったと報告ができるように」と誓った。【広重竜太郎】