<週中ベースボール>

<バッセン巡り>

首都圏のバッティングセンターを訪問する「バッセン巡り」は第5弾にして最終回となりました。プレー料金は自腹でフルスイングを続けた52歳の現役学童野球コーチも、残念ながらバットを置きます。最後は40年以上、年中無休で14球100円を貫く東京・足立区「梅田バッティングセンター」です。

   ◇   ◇

月に1度の楽しみだった連載が5回で終了…。紙面リフレッシュのためとはいえ、低視聴率で打ち切られたドラマの主人公の気分…。プレー代どころか交通費すら請求しにくいので、自宅から歩いて10分の「梅田バッティングセンター」を選んだ。

梅田? 大阪やないで、足立区だぜ。東武スカイツリーライン梅島駅から荒川に向かう一帯が梅田です。毎夏、足立花火大会の一夜だけ超にぎわう駅前を歩くこと7分。住宅街の真ん中にネットを張り巡らせた、バッセンが現れる。

看板をご覧ください。この1本足打法は…片平晋作さん(故人、南海−西武−大洋)ではなさそうだ。ご主人の濡髪■(ぬれがみ・しょう)さん(78)に聞いてみよう。「王貞治さんですよね」「そう、あのころ一番人気があったからねえ」。「あのころ」とは、開業した1978年当時。前年、ハンク・アーロンの本塁打記録を塗り替える756号を放った巨人の王選手は、この年の8月、800号に到達。少年たちは世界のビッグ1にあこがれて、野球に夢中になった。看板の絵は今も一緒に店を切り盛りする濡髪さんの弟が描いた。顔はそっくりとは言えないが、右足を上げた構えは間違いなく王選手だ。

濡髪さん一家は、経営していた鋳物工場をたたむにあたり、バッセン経営を選んだ。息子の野球チームで監督を務めていたからだった。同業がいくつも近隣にあったが、目指したのは「子どもがバット1本持って1人で来られるように」と1ゲーム14球100円にした。喫茶店で1回100円のインベーダーゲームが大流行した年だ。以来、値段と球数は変わらない。少しだけ投球間隔を短くして、効率化を図ったのが、せめてもの「改定」だった。逆に待ち時間が短くなり、利用者には好評だった。

全国の中学校が荒れた時代、不良のたまり場になりかけたこともある。「野球をやりたい子が来られなくなるから、追っ払いましたよ。変なオヤジだなあって思われただろうね(笑い)」。そのおかげだけではないだろうが、15年前、最寄りの区立足立九中野球部が全国大会で3位になったのがうれしかった。

住宅街のため、打球音に配慮して午後9時閉店は必ず守る。近所から苦情が届いたことはない。いつでも子どもに来てもらいたいと、元日も開店する。積雪でボールが場内を循環しなくなるのが最も困る。それ以外は年中無休。弟と交代で年に2回だけまとまった休みをとる。濡髪さんは東京・郁文館野球部でフォークを武器にした投手だった。「野球が好きだからね」と、今日もマシンを動かす。

さあ、打席に立とう。近所に住んで30年になる。ストレスはここで発散してきたが、最近は息子に譲っている。やっぱり、この日もそうしよう。アーム式マシンは小柄な子どもには、高めになりがちだ。気付くと濡髪さんが調整に走ってくれる。

しかし、今年5年生になる息子には、課題を与えた。「ストライクだけ打て」。バッセンだと、見逃すのはもったいないと、ボール球を打っても、許してしまいがちだ。それに制限をつけると、一気に難しくなる。集中力もアップする。「ボールが高い」といらだつより、ストライクを逃さず打つ、強さを養って欲しい。これも、私が知る限り、最も安いプレー料金だからこその、練習方法だ。

とかなんとか言って、好きなだけ打たせていたら、15ゲームになっていた。調子に乗りすぎだろう…。いや、200球以上打ち込めるようになった体力を褒めてやろう。平凡なわが子も努力すれば非凡な才能が…。「平凡の非凡」とは池田・蔦文也監督の教え。夢見るオヤジでいられるのが、バッセンなんだ。【久我悟】

◆梅田バッティングセンター 1978年(昭53)オープン。70キロ1打席、90キロ3打席(両打ち1)、110キロ1打席の5レーン。かつて工場を経営した経験で、開業当時のアーム式マシンを修理と調整を重ねて使い続ける。駐車場4台。住所は足立区梅田6の2の14。営業時間は午前9時〜午後9時。年中無休。

※■は日へんに向