<新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡(2)>

大相撲春場所を11勝4敗で終えた関脇朝乃山(26=高砂)が、富山県出身では太刀山(横綱)以来111年ぶりとなる大関昇進を確実にした。連載「新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡」では、朝乃山の相撲人生を振り返る。

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2017年1月23日、初場所で幕下優勝を果たし新十両昇進を確実にした朝乃山は、故郷の富山で行われた富山商高相撲部監督の浦山英樹さんの葬儀に参加した。左肘を負傷して相撲を辞めようと思っていた中学時代に「富商に来い。俺が強くしてやる」と声をかけてくれた恩師が、初場所中に40歳の若さでがんのため死去。遺族から「富山のスーパースターになりなさい」との遺言書を託され、大粒の涙を流した。

富山商高時代は1日5時間の猛稽古だった。3年間で遊んだ記憶はほぼない。記憶にあるのは毎年恒例の「元旦マラソン」。浦山さんの実家周りを、正月に猛吹雪に耐えて走ったことだ。マラソン後は浦山さんの家で雑煮を食べて初詣に行った。「今でも忘れられない味。あれよりおいしい雑煮を食べたことはない」。野菜や餅、魚のつみれが入った雑煮を食べると「また1年頑張ろう」と猛稽古にも力が入った。

角界入りの背中も押してくれた。12年に近大進学。当初、卒業後は富山に戻ることを考えていたが、近大在学中に浦山さんから「お前は富山に帰ってきても就職するとこはないぞ」と言われた。冗談半分の発言だったが、もう半分は「プロで頑張れ」という激励だった。近大2年時には同大OBで高砂部屋の若松親方(元前頭朝乃若)から勧誘を受けたこともあり角界入りを決意。大学卒業を控えた、16年春場所で初土俵を踏んだ。

16年9月、同年リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した富山出身の柔道の田知本遥とレスリングの登坂絵莉が、富山で行った凱旋(がいせん)パレードをテレビで見た。「富山出身で有名な男性アスリートはまだいない。自分が相撲界で頑張って有名な人になりたい」とスイッチが入った。その約4カ月後に恩師が亡くなり、託された「富山のスーパースター」。角界入りして4年。いよいよ今日、太刀山(元横綱)以来111年ぶりの富山出身大関が誕生する。【佐々木隆史】