「松坂大輔世代」のプロ野球界を代表する強打者として活躍した元横浜ベイスターズの古木克明さん。甲子園からプロ野球、そして総合格闘家、米プロ野球の独立リーグを経て、大学院大学でビジネスをゼロから学び起業した。「型破り」のホームランバッターと呼ばれた古木さんは今、インターネットを通じてライブ配信する「ライバー」としての活動も開始した。栄光と挫折を経験した後、なぜ起業家の道を選んだのか、古木さんに聞いた。

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「野球が大嫌いになった」。1998年にドラフト1位で横浜に指名されるなど野球エリートだった古木さんだが、横浜、オリックス・バファローズと10年あまりの現役生活を終えるころにはこんな心境に陥っていた。

愛知県の豊田大谷高校2年生のときに、夏の甲子園大会に出場して1試合2本塁打を放つなど注目を集め、高校日本代表にも選ばれた。3年生の夏の甲子園では、入場行進時に学年が同じ松坂大輔選手(当時は横浜高校、現埼玉西武ライオンズ)と「よろしくね」とあいさつを交わし、活躍を誓い合った。大会ではチームをベスト4に導き、プロに進んだ。

派手なホームランを放ち、明朗快活な人柄だが、実は常に不安だった。「いつまでやれるのか」。中学生のときには腰を痛め苦しんだ時期もあった。プロはケガとの戦いだ。2002年には巨人の桑田真澄投手(当時)など大投手から次々本塁打を放ちブレーク。03年には22本の本塁打を記録するなど活躍した。

だが、その後は伸び悩んだ。故障などの問題もあり、打率は振るわなかった。しかも守備で失策が多く、やじられた。「打てない」。何度もコーチとぶつかった。09年には戦力外通告を受け、現役を引退した。

型破りのバッターは、突然、総合格闘家になると表明、周囲を驚かせた。実は以前から格闘技に興味を持っていたのだという。プロ野球選手から転身を果たした先輩としてはプロレスにはジャイアント馬場氏、K―1には立川隆史氏の例があった。「じゃあ僕は総合格闘技で名をなしたい」と飛び込んだ。