中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ〜同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(80)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「仕事ができる男も不遇に 史記を読めば孤独も癒える」)

ひなげしの花が美しい季節になりました。別名は虞美人草(グビジンソウ)です。今回はこの名の由来である虞姫(ぐき)が登場する「項羽(こうう)本紀」にふれながら、英雄と呼ばれる人物の資質について考えたいと思います。

■才の人と徳の人

世の中には才の人と徳の人があるようです。没落貴族から「覇王」を名乗る事実上の帝王にのし上がった項羽(紀元前232〜同202年)は前者であり、農民から身を起こし、項羽を破って漢王朝を開く劉邦(りゅうほう、紀元前247〜同195年)は後者だったと言えるでしょう。好漢項羽のファンは多く、私も老獪(ろうかい)な劉邦より、項羽を惜しむひとりです。

項羽の羽は字(あざな=呼び名)、名は籍(せき)です。はじめ書を学んだのですが、途中で放り出してしまいます。また剣を学びましたがこれも長続きしません。叔父の項梁(こうりょう)が怒ると、彼は言い返しました。
 書は以て名姓を記するに足るのみ。剣は一人の敵なり。学ぶに足らず。万人の敵を学ばん。
書道は名前を書ければ十分。剣の相手はひとりだけ。どちらも物足りない。万人を倒す術を学びたい――。そこで項粱が兵法を教えると、項羽は大いに喜びますが、およそのことを知ると、また学ぶのをやめてしまいます。

司馬遷は項羽本紀をこのエピソードから書き起こしました。項羽の天才ぶりと、もろさをよく表していると思います。実にこらえ性がありません。事情はまったく異なりますが、私は書を学んで70年、本当に納得できる作品はまだ1点もありません。

天下を統一した秦の暴政に反乱が起き、各地に広がります。秦の地方トップのひとりだった殷通(いんとう)という人物も秦を見限ります。そこで項梁を呼び出し「天が秦を滅ぼそうとしている」と秦を裏切る自分を正当化したうえで「『先(さき)んずれば人を制し、後(おく)るれば人に制せらる』と聞く」と、急ぎ他の有力者を味方につけ、一緒に蜂起しようと働きかけます。
項梁は表向き従うそぶりをみせ、おいの項羽を室内に招き入れます。項羽は「八尺余(身長180センチメートル超)」かつ「力能(よ)く鼎(かなえ=重い祭器)を扛(あ)げ」たと記された大男です。項羽は項梁と事前に示し合わせた通り、たちどころに殷通の首をはねてしまいます。ふたりは地元の実権を握りました。
イラスト・青柳ちか

これが項羽の戦乱デビューです。自分の地位が揺らいでいる現実に気づかず、先手を取れると思い込んでいた殷通よりも、地位の低い項梁、項羽がうわ手でした。まさに「先んじた」のです。