■「目上の人に『ご苦労さま』は失礼」は本当?

Q 「目上の人には『お疲れさま』で、そうでない場合は『ご苦労さま』と使い分ける」。このルールの間違っているところは?

正解は「そもそもそんな決まりはない」だ。これはインターネット上でかなり広まっている「日本語のマナー」に関するデマの一つ。テレビでコメンテーターが誤って広めたともいわれる。信じ込んでいる人が結構多いので、トラブルの種になりやすい。「あいつは礼儀を知らない」と、ネガティブに評価される原因にもなりがちだが、専門家にいわせれば「必ずしも根拠がない」。つまり、鉄則として押しつけるレベルの正当性は備えていない俗説といえる。

同じような「思い込み」の例に、「とんでもないです」を正解とみなし、「とんでもございません」は誤用とする「勝手ルール」がある。こちらも俗説であり、国語研究者がいう「揺らぎ、バリエーション」の範囲内に収まる表現だ。要するに、どちらでも間違いではない。だから、「そんな言葉遣いではだめ」と、他人をくさす根拠にはなり得ない。ただ、こちらも俗説のほうがかなりの市民権を得てしまっているので、「どっちでも構わない」派が反論すると、水掛け論に陥りやすい。

言葉尻をとらえて非難する「誤用警察」がはびこる理由には、近年、日本でも強まっている「不寛容」の傾向があるように思える。他人の失態や不始末を、鬼の首を取ったかのように厳しくあげつらう人が増えてきた。ツイッターでの中傷は法的な規制が議論されるまでになっている。ささいなミスを見逃さず、踏み込んで糾弾することによって、精神的な快感を得たがる傾向は強まる流れにあり、上記のような誤解に基づく「誤用チェック」は、あら探しのネタとして使われているきらいもあるだろう。

言語表現の「揺らぎ、バリエーション」は、それら自体が言葉の豊かさや人間味を示すものだ。たくさんの枝分かれや変化球、ぶれ、遊びなどがあるからこそ、コミュニケーションは味わい深くなる。たった1個の「正解」しかない日本語は、硬直化して人くささを損ないやすい。軍隊では用語を統一することによって、命令の伝達に誤解を生じにくくしている。そういう言葉遣いは戦場では合理的だろうが、日常生活ではぬくもりを欠き、コミュニケーションを促さない。

いっそうの多様性が重んじられるようになってきた今、ちょっとイラッとするからといって、いちいち他人の言葉遣いをやり玉に挙げるような行為は、時代にそぐわないだろう。同時に、きっと相手をイラッとさせそうな物言いをあえて選ぶのもコミュニケーションを邪魔するおそれがある。書籍のタイトルにはそういった思いを込めたつもりだ。

今回、全体をクイズ仕立てで構成したのは、言葉遣いやコミュニケーションには必ずしも常に「正解」が存在するわけではないということを感じ取ってもらうための演出だ。気持ちが通じ合って、言葉が弾むことこそがコミュニケーションの意義・目的だ。だからこそ、使う場にふさわしい表現を、自ら選び取っていく必要がある。一般的な言葉の用法・ルールはその場その場でのオリジナルな判断を下支えする手がかりにすぎない。長きにわたるこの連載を振り返って、あらためてその思いを深くし、これからも「正解のない日本語」をたずねていこうと決めた。

※「梶原しげるの『しゃべりテク』」は毎月第2、4木曜掲載です。次回は2020年8月27日の予定です。

梶原しげる
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。