先日、担当するラジオの生放送で「ほめるのが得意?苦手?」とアンケートを採ったら、「ほめるのも、ほめられるのも苦手」という声が大勢だった。実に納得できる結果だと思った。

思えば、我々日本人は伝統的にほめられるのが苦手だった。「ほめる」という行為の裏側には「怪しいたくらみ」が潜んでいると警戒する心理が根強くあるからだ。ストレートなポジティブ表現そのものにも慣れていない。米国のテレビドラマにみられる「ハニー、あなたは何てすてきなの」的なほめ方には、居心地の悪さをかんじてしまいがちだ。

ほめられた際に「いやいや、とんでもない」「過分のおほめ」と否定しないと、「謙虚さが足りない」「厚顔無恥」と思われかねない空気は今でもある。ほめられることを素直に受け入れるのは、つつしみが足りない態度だとみなされてしまうのだ。こうした気風は日本でほめ方の表現術が成熟するのを邪魔した可能性がある。

一方で現代のSNS(交流サイト)上では「ほめる」の反対にあたるニュアンスを帯びた動詞「けなす」がますます幅をきかせている。ツイッターではスキャンダルや不祥事のたびに炎上が相次ぎ、どんな出来事にもまずは文句を付けたがる人が見受けられる。「ほめる」=「安易なお追従(ついしょう)」で、「けなす」=「批評的で知的なコメント」と勘違いする人がいるらしい。

斜に構えたトーンでくさすのが、一段上からのポジションを示し、「かっこいい態度」と誤解される傾向は昔からあった。ほめた対象が後になって、評判を落とすような事態に至っても、最初にけなしておけば責任をとらなくて済むから、「安全策」としてまずは難癖をつけておこうという考え方もあるだろう。けなすことは割と容易だが、ほめるのは難しいと感じる人が増えているのかもしれない。

こうした「けなし派優勢」の状況を、「これはまずい!」と感じたのか、ほめることの意義や心得を真剣に説いてくれる書籍やネット記事が増えている。例えばこんな感じの「ほめ極意」が示されている。

「相手の承認欲求を満たしつつ気持ちを込めてほめる」

「相手が本当に大切に思っていることを自分も大切に思いながらほめる」

「信頼関係構築を念頭に共感的な文脈でほめる」

「相手のほめられたい、心の声に耳をすまし、思いを寄せてほめる」

「上っ面ではなく、資質や能力など人間性全般をほめる」

なるほどと思える教えもあるが、「こういう方法で、本当にうまくほめられるのかなぁ」と、疑問に感じるところもある。自分に置き換えてみると、巧みな技で、ご丁寧にほめ上げてもらっても、必ずしもうれしい気持ちが倍増したりはしない気がする。冷静な分析に基づく「ほめ言葉選び」は、相手の素直な気持ちを感じ取りにくいのが一因だ。要するに「うますぎる」のだ。