市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第21回では、「レイジー」メンバーの相次ぐ死を思い返しします。

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1981年のレイジー解散後、井上氏と田中宏幸氏はネバーランドを結成した。高崎晃氏と樋口宗孝氏のラウドネスは日本のハード・ロック・シーンをけん引。景山浩宣氏はアニソン歌手「影山ヒロノブ」になった。

97年、テレビ番組「ウルトラマンダイナ」の音楽ディレクターを務めることに。レイジーのメンバーはウルトラマン世代。再結成してエンディング曲を作ろうとひらめきました。

景山君はすぐに快諾。ひろゆきはきっと大丈夫だからと、年長の樋口さんから口説きにかかりました。彼が通い詰めていた東京・下北沢の居酒屋で待ち伏せすると「面白そうやな。でも、たっかん(高崎氏)が何て言うかわからんけど」。当時、樋口さんはラウドネスを脱退して、たっかんと距離を置いていました。

次に向かったのは六本木プリンスホテルのバー。たっかんに事情を話すと「樋口はなんて言うてんの?」。なぜか呼び捨てです。トゲトゲしい雰囲気でしたが「樋口がいいならいいけどな」。「よかったー」と安心してひろゆきに電話すると、まさかの「俺は嫌や」。結局、最初は4人で再結成。ひろゆきは途中で加わりました。17年ぶりの再結成です。

解散からずっと会わないでいたメンバーもいるのに、5人そろうとかつてのレイジーがありました。いくつになってもあの頃の気持ちに戻れる。学生のサークルのよう。不思議ですね。