新型コロナウイルスを巡り、患者や医療関係者などに対する差別的な言動が相次いでいる。社会が感染症と向き合うためには、医療と同じほどに人権の視点が重要だ。深刻な差別被害を受けてきたハンセン病の元患者たちが「ハンセン病問題は医療問題ではない」と訴え続けているのも、そのためだ。

 感染症への差別意識は「うつされるのでは」という恐怖心が発端。科学的な知見を軽視して、根深く浸透するという特徴を持つ。

 ハンセン病での人権侵害は、国が強制隔離政策を徹底したために、本来は感染力が弱いのに「怖い病気」とする誤解が社会に定着して深刻化した。患者や家族は結婚や就職などあらゆる面で差別を受け、その悲惨さは「人生被害」とさえ呼ばれる。1949年からは特効薬が広く使われるようになり、その後に治療法が確立しても、偏見はなくならなかった。

 2003年、熊本県内のホテルが「お客さまに迷惑をかける」として、すでに完治して感染の恐れもない元患者の宿泊を拒否した。それどころか、ホテルの対応を批判する元患者たちに追い打ちをかけるように「身の程を知れ」「一緒に風呂に入れるか」など200件を超える非難の電話や手紙もあった。差別意識がいかに医学的な判断を超えて、根を張るかを示すケースと言える。

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 新型コロナの感染拡大でも、理性より感情が先行する例が起きている。一部の学生が集団感染した大学には「感染者の住所を教えろ」「大学に火を付ける」などの声が寄せられた。医療現場では、職員の家族が保育所への通園を拒否されたり、出勤を停止されたりした例が確認されているという。明らかに根拠を欠いた、過剰な反応だ。

 感染しにくいハンセン病で差別を受けたのは患者と家族など社会の一部に限られていた。感染率が高い新型コロナではこうした偏見がより広がる恐れがある。不便な日常生活や厳しい経済状態が続くと、その原因を誰かに求めたくなる。感染拡大の主原因は政策や医療体制の不備にあるのに、国は十分に説明しない。だから人は攻撃しやすい感染者や周辺を責めてしまう。

 批判を受けることを恐れて検査を受けず、感染を隠すようになれば収束はおぼつかない。差別を防ぐことが感染防止自体に有効なことも肝に銘じたい。

 自分は差別などしない、と誰もが思うだろう。だが、ハンセン病患者を差別してきたのも、特別ではない市井の人たちだった。後世にハンセン病と同じ過ちを繰り返したと断じられないよう、人権問題としてコロナ禍に向き合うべきだ。 (聞き手・中原興平)

 ◆うちだ・ひろふみ 1946年大阪府生まれ。専門は刑事法学(人権)、近代刑法史。ハンセン病問題に長年取り組み、国の検証会議副座長も務めた。著書に「治安維持法の教訓」「刑法と戦争」など。