球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが14日、東京都内の野球殿堂博物館で発表され、エキスパート表彰で田淵幸一氏(73)が選出された。

 阪神、西武での現役時代は王貞治の14年連続本塁打王を阻止するなど歴代11位の474本塁打。引退後はダイエー(現ソフトバンク)で監督を務め、阪神と楽天では盟友星野仙一監督(故人)の下でコーチを務めた。

 【記者コラム】

 6、5、4位。1990年、ダイエー(現ソフトバンク)ホークスの監督に就任した田淵監督の3年間の成績である。借金は44、20、15。3年連続日本一を果たした現在のホークスでは考えられない。極端な言い方が許されるなら、今は誰が指揮を執っても勝てるが、その当時はまるで逆だった。

 パ・リーグは秋山(西日本スポーツ評論家)、清原を中心にした全盛期の西武に、野茂のいた近鉄(現オリックス)などダイエーが入り込む余地はなかった。戦力差が顕著な状況下での田淵監督は気の毒ではあった。

 とにかく、投手力が弱かった。ホークスは78年から97年まで20年間もBクラスをさまようのだが、田淵監督時代の3シーズンは、チーム防御率が全てリーグ最下位。規定投球回に到達した投手で上位10傑は一人もいないというありさまだった。

 田淵監督は温厚でおおらかな性格の持ち主。少し緻密さに欠けていた。90年オフには他球団の情報を記者の囲み取材でポロッと漏らし、球団がコミッショナーから厳重注意を受けたこともある。

 ダイエーでの3年間は楽しくはなかっただろう。ただ、田淵監督の本拠地最後の試合、92年10月1日の「サヨナラ平和台」で新人の若田部(現ソフトバンク3軍投手コーチ)が野茂に1−0で投げ勝った試合は、素晴らしい手向けの白星となった。

 その試合終了後、田淵監督は「私の仕事は終わりました」と辞意を表明。心底では93年から本拠地となる福岡(現ヤフオク)ドームでの采配を強く望んでいただけに、野球人としての無念さが感じられた。

 当時から「もし」と思っていたことがある。93年からホークスの指揮を執る故根本監督が田淵監督と立場を変えて90年に就任していたら…。チームの土台づくりを得意とする根本氏が戦力を整えて田淵監督に渡す。田淵氏は監督になるタイミングと時期が早かったような気がしてならない。(元福岡ダイエー担当・森本博樹)