東京五輪で日本選手団の先陣を切って登場するソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。東京五輪を「競技人生の集大成」と言い切る宇津木監督が思いを語った。

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 年末年始の休暇を挟み、12日からオーストラリアで代表の強化合宿を再開した。現地では大会も開催され、東京五輪の出場権を得たオーストラリア、イタリア、メキシコも参加する。この目で仕上がりを確認したい。3月下旬に発表する五輪の代表枠15人の選考も大詰めを迎えた。20人いる候補選手の中から、12人までは選んだ。対戦相手とのシミュレーションを重ね、今後残り3人を決める。

 五輪の出場チームは2008年北京大会までの「8」から東京大会では「6」に減る。6チーム総当たりの1次リーグで1位と2位が決勝に進み、3位と4位が3位決定戦を争う。1次リーグで2位に入らなければ、メダルは金どころか銀さえも取れないことになる。敗者復活戦があった以前のように、1次リーグで4位までに入れば、という戦い方ができない。

 一戦必勝を期すには、15人の選手との協力関係が不可欠。おいしいおかずがあれば、炊きたての白米を食べたくなる。逆もしかりだ。どちらも勝負師。指揮者の考えを投、打、守、走で表現するのに互いの心によどみがあれば勝てない。年間約170日の合宿を通して技術面以外の「人」としての成長にも目を向けた。代表に特別なルールは設けていない。求めたのは「一人の人間として」―。誤解されるような行動は取らない。人を傷つけない。仲間の足を引っ張らない。人として当然のことをできない選手が「人対人」の勝負を制することはできない。

 自国開催の有利な面を挙げるなら「天と地」だ。生きている場所、生きていく場所。見慣れた空の下でプレーできる。言葉も…と考えたところでハッとさせられた。私が率いて日本が優勝した世界選手権は、12年がカナダ、14年がオランダで開催された。飛び交う言葉が分からないから、逆に集中して肝が据わりやすい面があった。反対に日本では知り合いの前での試合みたいな感覚に陥りやすい。中国から来日した自分がそうだった。最初は何も分からずにやって結果も出た。次第に「良い言葉」と「悪い言葉」が理解できるようになり、感化されていったことを思い出す。

 00年シドニー大会で開催国のオーストラリアは2位以上になる力がありながら、3位に終わった。日本と米国に敗れた試合のスコアは全て0―1。出場した元代表選手に尋ねると、応援の影響が少なからずあったことを認めた。「戦い慣れた場所なのに、難しい試合だった。温かい励ましや厳しい意見…。いろんな声に応えたい、早く勝ちたい、という焦りもあった」。

 予想通りの返答だった。文化の違いもあるので日本に当てはまるとは限らない。日本人のマナーの素晴らしさは昨秋のラグビーワールドカップ(W杯)でも分かる。それでもプレーボール前にクリアしておきたい事項の一つだった。100個必要なら200個用意する。準備は2倍。それが私のルールでもある。

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。