高校野球の強豪・報徳学園のエース左腕として甲子園に3度出場した近田怜王氏(30)は3年夏に、同校をベスト8に導いた。2009年ドラフト3位でソフトバンクに入団。ただ、4年間のプロ生活では、1軍登板を果たすことなく戦力外通告を受けた。その後社会人のJR西日本入りし、都市対抗にも出場。勤務の傍ら現在、コーチを務めている京大では、昨秋に関西学生リーグ発足後としては京大史上初の4位に導くなど、指導者としての手腕が注目されている近田氏の「今」を追った。 (喜瀬雅則)

 近田氏がコーチに就任して、今季が4年目となる京大が所属する関西学生連盟には、近大や立命大など、毎年のようにプロへ選手を輩出する強豪がしのぎを削る。その6校の中で、リーグ唯一の国立大であり、最下位が半ば“定位置”でもある京大が昨秋、1982年のリーグ発足以来、最高の4位に浮上。その躍進ぶりは、関西だけでなく、全国的な話題になったのは記憶に新しい。

 「負けて当たり前、打てなくて当然。打席から戻って来て『速い。打てへん』『無理』とか言うので、そういう言葉を使うことをやめようと。そこから始めました」

 地道な意識改革からスタートした近田氏の指導の下、昨年のリーグ戦で春2勝、秋5勝の年7勝もリーグ発足後の京大として史上最多。「めっちゃ頑張ってくれました」と選手をたたえる30歳の指導者の原点は、高校とプロで直面した“挫折”の経験だったという。

 本格派左腕として騒がれた報徳学園高時代、3度の甲子園出場。ただ2年時の春夏はともに1回戦敗退。「自分のせいで負けて、もっとやらなきゃいけないと思ったんです。でも何をやればいいのか、自分で分かっていなかった」。夏の敗退後も、休むことなく練習に取り組んだが、その3日後に、熱中症で倒れて緊急入院。一時は生死の境をさまよったという。

 プロ入り後も、2年目のオープン戦で1軍同行を果たし、福岡ヤフオクドーム(当時)でも登板したが、その2日後に左肩を痛め2軍降格。「あのとき、けがなくやれていたら、開幕1軍だったかもしれません。でも自分の中のレベルが、あの時は低かった。けがをする以前の自己管理。それがすべて、自分に返ってきた結果です」

 その後、1軍昇格は一度もなく、4年目の12年夏には「最後の勝負」と野手転向しながら、そのオフに戦力外通告を受けた。指導者を目指して教員免許取得のため、大学進学を検討していた時、社会人野球の強豪、JR西日本から誘いを受け「大学は後でも行けるけど、現役は今しかやれない」と入社を決意。14年には創部80年目にして初の都市対抗出場にも貢献した。

 15年に引退。上司の紹介で17年から京大の臨時コーチを務め、18年から正式に就任した。自らと正反対、甲子園などの大舞台とは無縁の選手が大半の京大生。出会いから順調とはいかない。「理解は早いんですけど、体が反応しないというんですか。そこがもどかしかった」

 だからこそ近田氏が守り続ける教訓は「絶対に、頭ごなしに言わないこと」だという。

 「僕の教えが、絶対ではないですからね。選手たちは、説明で理解できなかったら『何言ってるんですか?』と、そう言わないまでも、顔を見ていたら、ふに落ちていないというのは、すぐに分かります。でも、低いところに合わせると、低いところで満足する。全体で話すときは、プロで教えてもらったレベルで話すようにしています」

 そうした地道なコミュニケーションを通し「意識を変えていく。その積み重ねでした」。昨秋の躍進ぶりは、近田氏がもたらした意識改革の成果を物語る。

 「僕は、プロで鼻を折られて、全く通用しなかった。だから、学生が結果を出せなくても話ができる。それが指導者としての糧です」。ホークスでの苦闘の経験が、京大を“戦う集団”へと変える、貴重なエキスになっているのは間違いない。

現在は車掌業務に汗

 近田氏は、社会人野球でプレーしていた3年間は広島・横川駅、16年からの3年間は兵庫・三ノ宮駅で駅員を務め、現在は明石車掌区に所属している。週2〜3回は京都−播州赤穂間で新快速、快速、普通電車に車掌として乗務。「車内放送もやりますし、駅でドアも開けますよ。普通に車掌をやっています」。胸に名札も付け、車内放送では、始発駅を出発した際に、車掌自身の名前もコールするため「声までは掛けられませんけど、あれっ?という顔をされている方はいますね」。確かに元プロ野球選手の車掌さんというのも、レアな存在だろう。

◆選手とオンラインでミーティング

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、関西学生野球の春季リーグ戦も、開幕の見通しが立っていない。全体練習もできない中、京大の投手陣は、新入生を入れた初ミーティングを、ビデオ会議アプリの「Zoom(ズーム)」を利用して、オンラインで開催することになったという。「まだ新入生と顔合わせができていないんです。この場で方針を伝えることになりますね」と近田氏。オンラインでの投手ミーティング開催は選手からの発案だという。「今の学生たちは、オンラインでも全く違和感がないみたいで、これも時代なんでしょうね」。新時代のスタイルには、少々驚きを隠せないようだ。

◆高校、社会人“直系の後輩”ドラ1佐藤にエール

 今年のドラフト1位ルーキーの佐藤は、近田氏と同じ兵庫・報徳学園高出身に加え、所属時期こそ重なっていないが、同じ社会人のJR西日本でプレーした。近田氏は報徳学園高−ソフトバンク−JR西日本で、佐藤は報徳学園高−JR西日本−ソフトバンクと“別ルート”だが「経歴を見ていると、うれしくなりますね」と近田氏。佐藤の入団決定後、1学年上の中村晃と岩崎に「佐藤君のことをよろしくお願いします」と電話で連絡したという。「ソフトバンクの選手層は厚いし、大変だとは思いますが、頑張ってほしい」と“直系の後輩”の活躍を心待ちにしている。

 ◆近田怜王(ちかだ・れお)1990年4月30日生まれ。兵庫県出身。兵庫・報徳学園中では硬式の「三田シニア」で世界大会4強入りし、報徳学園高でもエースとして甲子園に出場するなど活躍。ドラフト3位で2009年にソフトバンクに入団し、12年途中に投手から外野手転向も同年限りで退団。1軍公式戦出場はなし。その後にプレーしたJR西日本では都市対抗野球にも出場し、17年から京大を指導。177センチ、84キロ。左投げ左打ち。