ラグビーの関東大学リーグ戦の法大に「3世代での大学王者」を目指す新入部員がいる。1年生プロップ竹部力(大分舞鶴)は、法大OBでいずれも大学日本一に輝いた祖父と父に憧れ、今春伝統校の門をたたいた。近年低迷が続くチームにとっても「栄光のDNA」を受け継ぐ新入生の加入は頼もしい限り。新型コロナウイルスの影響で自粛していた部の活動も6月中旬から再開され、強豪復活へのろしを上げた。

■3度V中2度も縁

 岩盤のような分厚い胸板の下に、強くて優しい心を併せ持っている。「体は小さい頃から『縦』も『横』も大きかったです」。竹部が巨体をすくめるように照れた。3度の大学日本一を誇る伝統校。竹部家はそのうちの2度に縁がある。ナンバー8だった祖父の肇さん(77)は1964年度の第1回大学選手権優勝メンバー。父の太朗さん(48)はロックで3年生だった92年度に大学日本一となった。

 「気が付いたら…」と父が指導していたスクールで楕円(だえん)球を追い、父に連れられて法大ラグビー部OBの集いにも参加。「法政」に興味を引かせようとする家族の“仕業”とも知らず、小学生だった2010年には、法大出身で日本代表FWとして活躍した伊藤剛臣のエスコートキッズも務めた。いつしか「おじいちゃんやお父さんと同じ法政にいきたい」と作文にも書くようになった。

 父も大分舞鶴高出身で同じポジション。「重圧はありました」と竹部は認める。「今でも忘れられない試合」と振り返る3年時には花園出場を懸けた大分県予選決勝で大分東明高に14−17で敗れ、県34連覇を逃した。花園に行けなかった代としての悔しさは一生消せない。「あの時に『負けて良かった』と言えるような思い出にしたい。そのためにも、やれるところまでやりきるつもりです」と言い切った。

■4年時創部100周年

 大切にしている言葉がある。「一歩前に−です。試合や練習はもちろん、普段の生活でも、きついときに前に出られる人間になりたい」。自負を持つコンタクトプレーだけでなく、アタックやディフェンスも磨いて一日も早くチームの戦力になりたいという。

 リーグ戦で昨年度6位に甘んじた法大は1924年創部。竹部が4年時に創部100周年の節目を迎える。「しっかりと体をつくって、自分なりのプレーをしていきたい」。自身の成長とチームの再建。この二つの曲線が重なれば、竹部家3代の夢が紡がれる。 (西口憲一)

 ◆竹部力(たけべ・りき)2002年2月9日生まれの18歳。福岡市東区出身。5歳から「かしいヤングラガーズ」でラグビーを始め、同市の松崎中から父の母校でもある大分舞鶴高に進学。高校でのポジションはロック。全国高校大会は1年時に途中出場し、レギュラーとなった2年時は2回戦で桐蔭学園高(神奈川)に敗れた。2年時にU17九州高校選抜に選出。憧れの選手は昨年のラグビー・ワールドカップ(W杯)で日本代表主将を務めたリーチ・マイケル(東芝)。身長185センチ、体重110キロ。

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 父の太朗さん「力(りき)という名前には人としての力、思いやり、懐の深さ…を持ち合わせた人間になってほしいという思いを込めました。高校最後の試合で味わった悔しさを忘れず、努力を続けてほしい」

 祖父の肇さん「(孫の法大進学で)ずっと願っていた小さな夢がかないました。本当の夢は、孫がプレーしているピッチで日本一の瞬間に立ち会うことです。それがかなったら、もう思い残すことはありません」

■元日本代表のコーチ「笑わない男」引き合いに高評価

 元日本代表SHで神戸製鋼でも活躍した就任5年目の苑田右二ヘッドコーチ(HC)は竹部の潜在能力に太鼓判を押す。法大OBの苑田HCは大学日本一となった1年時からレギュラーとして活躍。竹部の父、太朗さんは苑田HCが1年時の3年だった。先輩の息子となる竹部について、日本代表プロップで「笑わない男」こと稲垣啓太(パナソニック)を引き合いに出して「稲垣選手の身長(186センチ)と変わらないし、恵まれた体に加えて反応も速い。お父さんに比べて器用さもありますね(笑)」と説明。「将来は世界に通用する選手に育ってほしいですね。日本代表になれる可能性は十分あります」とエールを送った。