映画『ヘアピン・サーカス』の西村監督が急きょ71年11月20〜21日の「第18回マカオGP」を撮影することにした。


 見﨑は「GPレース」と「GT&Sレース」の両方のレースに出場。

フリー走行時にはカメラをマシンのフロントにステーを付けて撮影した。


 映画の中で本物の「マカオGP」は主人公の回想シーンとして使用されている。

実際に見﨑は両方のレースで3位入賞。

GPレースではホンダエンジンの不調をだましながらの走行だった。


 大坪は本物のクルマを撮影することに徹底的にこだわった。

それは西村監督が舌を巻くほどの真剣さだった。

関連記事:日本初の車載カメラによるレース撮影。レースにドライバー兼カメラマンとして参加|レーシング・ドライバー大坪 引退の顛末 Vol.5

「マカオGP」でのデッドヒートのシーンは国内でも撮影された。

読売ランドのモノレールの上から空撮のように撮られているシーンは圧巻である。

最後にエバがクラッシュするのは江ノ島近くの駐車場だ。


 トヨタ2000GTとサバンナGTが雪上(群馬県・赤城山で撮影)で乱舞する走りは、男女の官能シーンを表現していて美しい映像だ。

江夏夕子の運転シーンはほとんど大坪が代わりに演じている。


 撮影は予定よりも延びて、公開の4月25日の直前まで続いた。

現在、『ヘアピン・サーカス』のDVDはキングレコードから発売されている。


 この時、大坪は映画のおもしろさと深さに魅了され、レースをからめた映画作りにのめり込んでいく。


 72年4月、東京・赤坂のマンションに「ユニオン・プロジェクト」の事務所を2社と共同で構える。

そのうちの1社は小川知子(女優、歌手・事故死したレーサーの福沢幸雄の元恋人)の兄が経営する時刻表の出版社だった。

 
「マカオGP」から1年が経過した。

 
 72年11月25〜26日の「第19回マカオGP」に見﨑と舘は出場しようとしていた。

見﨑は第19回東京モーターショー(10月23日〜11月5日)に展示されていたセリカ1600GTを借り出すことに成功。

一方、舘も佐藤文康からカローラを借り出した。

2人はツーリングカーレースにエントリーし、スポンサー集めに奔走する。


 見﨑と舘はあるパーティーで大坪と会う。

大坪は「作品を作ることを条件に私が航空会社のスポンサーを取りましょう」と助け船を出す。


 撮影隊のメンバーは、小川知子ほか5名。

小川知子の参加でマスコミに大きく取り上げられ、その効果かアリタリア航空がスポンサーについた。


 セリカとカローラのボディには各社のステッカーが貼られ「TEAM TOMOKO」(チーム知子)とUP(ユニオン・プロジェクト)の文字も描かれている。


 ツーリングカーレースの予選では見﨑がポールポジション(3分05秒)、舘が3位(3分11秒)。

決勝(25日)では見﨑セリカと舘カローラがワンツー・フィニッシュした。

小川知子が優勝した見﨑に抱きついて大喜びする。


 大坪はこのレースを撮影し、『さよならマカオ』というドキュメンタリー作品を作った。

小川知子は監督兼カメラマンを担当する。

同名の曲も小川知子が歌っている。

A面は『さよならマカオ』(作詞大坪善男!、作曲三保敬太郎)、B面は「走りのテーマ〜ドライバー見﨑・舘のテーマ」。


 2年連続、「マカオGP」を舞台に、撮影した作品を制作した大坪は映像の世界で順調な滑り出しをみせる。


 その作品はアリタリア航空から高い評価を受け、大坪は南米のペルーまでDC‐10の初フライトに招待された。

隣の座席にはジーナ・ロロブリジーダ(『ノートルダムのせむし男』や『わらの女』で有名な60年代のイタリアを代表するセクシーな美人女優)が座っていた、という大坪の話を紹介しておく。


 その後、大坪は西武池袋線の東長崎駅近くのマンションに引っ越した。

「ユニオン・プロジェクト・タジマ」という会社を登録した。




昭和名車列伝セリカLBターボ(副題『雨とセリカと男たち』というタイトルでエイベックス・エンタテインメントからDVDが発売された。




掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 10月号 vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)