「今だから言える話ですが、FP(フォーミュラ・パシフィック)に乗っている時日産のテストで1回だけブリヂストンのタイヤを履く機会があったんです。ブリヂストンの上から2番目のランクのコントロール(レギュラー)タイヤで走った。『こんないいタイヤと競っていたのか』と愕然としました。

 ヨコハマの市販車用タイヤのテストをしたときも、BSやダンロップと比較テストしました。BSは完成の域に達していました。ヨコハマはそれらに追いつき追い越せと必死に開発しなければならなかった。

 でも、ボクはヨコハマからBSに鞍替えしようとは全く思いませんでした。BSの星野さんや長谷見さんと求めるものが違いましたから。じっと我慢してチャンスを待ちました。

 マシンがよければ速い。条件がそろったら速く走れるんです。ドライバーの腕で急に速くなるわけではない。ボクの場合、運良く日産さんやヨコハマさんと契約できました。いいタイヤ、クルマ(シャシー)、エンジンと巡り合えましたから幸運でしたね」

 79年のFPチャンピオンになったことで、80年3月29日の「北米FAtチャンピオンシップ第1戦ロングビーチ」に出場する話がJAF(日本自動車連盟)から舞い込む。

 予選は18位で1分30秒26。ポールポジションのT・グロイは1分27秒31。和田は決勝で8位になった。レース中、1分30秒97がベストタイムだった。

「体調不良というと言い訳になりますが、絶不調でした。トップの3秒落ちでしたから。事故のあと4カ月しかたっていませんから満足した走りができませんでした」

 ここで和田個人のレースから話はそれるが、ヨコハマのFPとF2レースについて書いておきたい。

 79年4月1日の「筑波チャンピオンレース第2戦」のFPにヨコハマは初参戦し6位に入賞した。ドライバーは高橋健二。マシンはADVAN東名ニッサンFP。

 F2のヨコハマ初レースは80年9月28日の「鈴鹿グレード20レーサーズレース」だった。ヨコハマが購入したADVANマーチ802BMWに高橋健二が乗った。初めてのヨコハマで予選7位、2分13秒40。予選1位の中嶋悟マーチ792BMWは2分11秒06。

 ヨコハマは柔らかい順に黄、緑、赤、青の4種がある。ドライ用4種、ウエット用4種を用意。決勝の前にウオーミングアップでソフトから2番目の「緑」を履くが、オーバーヒートした。すぐ水をかけグリッドに着く。

 4周でタイヤがブローしはじめ8周でピットイン。ハードから2番目の「赤」に換えるが、そのタイヤもブロー。再度交換し高橋健二は10位で完走。

 82年4月11日の「82日本フォーミュラ選手権レース」で ADVAN東名マーチを駆る高橋健二がF2でヨコハマ初優勝を飾る。山下隆チーフエンジニアは勝利の喜びを隠さなかった。

 話を和田のレースに戻そう。

 和田がF2でヨコハマを履くのは83年のシーズンまで待たなければならなかった。その間、高橋国光と高橋健二等がレースとテストでタイヤを熟成させていく。

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