ターボや4WDを投入し、ラリー界を牽引した日本の雄 【三菱4WDターボ Vol.1】

三菱モータースポーツの本流は、ラリーステージでの進化だった

 日本のモータースポーツが、本格的に発展の兆しを見せ始めたのは第1回日本グランプリ以後とされているが、その動きが活発化してきたのは、富士スピードウェイが完成した1966年あたりからと見てよいだろう。

 こうした流れの中で、多くのメーカーが自社製品PRの場として、モータースポーツ活動に参画してきた事実がある。日産などはその代表格と言ってよいが、サーキットレースではなく意識的にラリーを活動の場として選んできたメーカーもあった。三菱自動車と富士重工である。この2社は90年代にWRCで直接対決し、世界タイトルを争ったことはよく知られているが、創成期からの歴史を遡ってもサーキットレースとはほぼ無縁、ラリー一筋のメーカーだったことがよく分かる。

 このうち三菱は、60年代後半から70年代前半にかけ、R39/R39B型エンジンを開発してフォーミュラレースに挑戦した時期もあったが、量産車ベースのT/GT、あるいはレース専用スポーツカーのグループ6/7カーではなく、どのメーカーも手がけなかったフォーミュラであった点に独自性が見られていた。その一方で、ラリー活動は国内/海外とも早い時期から積極的に展開。コルト1000、コルト11F、コルト1500、コルト・ギャラン、コルト・ランサーと、自社主力モデルのほとんどをラリー活動に振り向けていた。とくに軽快な運動性能を持っていたランサー(A73)は、ラリーユースを前提に量産車を設計したのではないかと言われるほどだった。

 さて、日本メーカーによる海外ラリー活動といえば、日産によるサファリラリーが広く知られているが、もともとサファリはメジャーイベントだったわけではなく、むしろ日産がラリー活動を推し進めるに従い、日本国内で知名度を増していったイベントである。

 三菱も、日産と同じ思惑でオーストラリア・サザンクロスラリーに挑戦。ギャラン(1972年)、ランサー(1973年)で連続優勝を飾って同ラリーのステイタスを喧伝。日産のサファリと同格の実績としたかったように見えたが、翌1974年にWRC戦となったサファリラリーに参戦。なんとWRC初参戦、初優勝という前例のない記録を打ち立て、予想以上の効果を得ることに成功。

 これほどの実績を挙げれば、自ずと「ラリーの三菱」という認識はついて回るようになり、三菱のラリー活動も安定的かつ継続的に行われるようになったのだ。もっとも、三菱の場合も排ガス対策期の活動自粛は避けられず、表立っての活動は手控えられたが、ランサー・セレステを使ったラリーカーやターボチャージャーの開発は行われていた。

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VR-4の活躍を受け継いだランサー・エボリューションなど【写真8枚】