昭和40年代に拡大していった

周囲を海に囲まれているだけでなく、地形が複雑で海峡の多い日本では昔から船が重要な交通手段であった。昭和30年代以降のモータリゼーションの発展で、クルマ社会が急速に拡大。この2つの交通手段を結ぶ形で発展してきたのがカーフェリーだ。

 日本初のカーフェリーは、1934年(昭和9年)に現在の北九州市の若松と戸畑を結んだもので、その航路は約400mと小規模なものだった。また41年には鹿児島と桜島を結ぶ村営フェリーが就航しているが、これも航行距離は短い。ともに渡し船を兼ねた、小規模でローカルなものに過ぎなかったとみられる。

 そして戦後になり、モータリゼーションの発展とともにカーフェリーの需要が増加。54年には明石から淡路島を経て、四国に至るルート上の明石〜岩屋、福良〜鳴門のフェリー航路が開かれている。56年からは日本道路公団がそのフェリー航路を管理するようになり、カーフェリーは「海上の国道」と位置づけられるようになる。大分県の佐賀関と愛媛県の三崎を結ぶ航路も、69年に道路公団の管轄でフェリー航路が開かれているが、海に隔てられながらも「ここがつながると便利だ」という地形は日本には数多く、そんな地域で短距離カーフェリーの利便性が歓迎されたものと思われる。

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 そのもう一方に、今回の本題でもある長距離フェリーの存在がある。隣り合う地域の利便性に根ざした短距離フェリーに対し、長距離フェリーは遠く離れた地域を外海の航路で結び、そこには利便性に加えて「海の旅」ともいえるロマンがある。大型フェリーで遠く離れた土地を訪れるのは、鉄道や飛行機の旅とはまた違った面白さがある。また、知らない土地を愛車で自由に走り回れるというのも、クルマ好きにとっては格別なものだ。

「原則として航行距離が300km以上の航路を持つフェリーを長距離フェリーと定義づけています。しかし、300km未満のフェリーも多く、どれも太平洋、日本海、瀬戸内海を中心に全国各地を結んでいます」

 長距離フェリー会社の団体である日本長距離フェリー協会の渡邊雅範さんはこう語るが、そもそも日本における長距離フェリーは、いつ頃に就航が始まったのだろうか?
「1968年(昭和43年)8月に小倉〜神戸間に就航した『フェリー阪九』が日本初の長距離フェリーとされています。その後、昭和40年代に多くの航路が開かれました」


人物 長距離フェリー協会 渡邊雅範
長距離フェリー協会、業務部長(取材当時)の渡邊雅範さん。協会ではフェリーや船旅の魅力をPRしている。


 協会のデータによると、阪九フェリー株式会社によるフェリー阪九に続いて70年2月にはダイヤモンドフェリーが大分〜松山〜神戸に就航し、同年8月には新日本海フェリーが舞鶴〜敦賀〜小樽、71年3月には日本カーフェリーが細島(宮崎県日向市)〜川崎の航路を開いている。ちょうど日本におけるモータリゼーションの高まりとリンクしており、マイカー所有+フェリー旅行という構図が思い浮かぶが、実はフェリー需要の高まりはそれ以上にトラック輸送の増加が大きくかかわっているという。

「今でもフェリーは大型トラックが重要なお客さまです。海峡をはさんだ北海道からのトラック輸送はフェリーが欠かせませんし、さらに出発港でトラクターを外してトレーラだけを運び、また到着港からは現地のトラクターでトレーラを運ぶという『無人航送』のニーズもあります」


 フェリー輸送は貨物船などにつきものの『荷役』を省けるメリットがある。トラックをそのまま載せて運び、到着港でも荷役の手間なく即座に走り出して目的地を目指すことができる。この時間短縮は生鮮食料などを大量に運ぶ際には大きなメリットとなる。また、輸送時間の短縮が大きなメリットとなる業種は少なくない。


 昭和40年代にフェリー需要が増えたのは、当時の国道の混雑や頻発する交通事故の防止、労働力不足への対応という面もあったという。まだ高速道路が完備しない時代、国道を延々と走るトラックは渋滞に悩まされ、ドライバーは過酷な労働を強いられていた。その結果の事故、荷物の到着遅れなども少なくなかったが、フェリーを使えば定時運送が可能となり、さらにドライバーも船内で休息が取れるメリットがある。

「定時運航というのはフェリーの大きなメリットです。よく台風の影響がいわれますが、航行不能になるほどの台風接近は数えるほどしかありませんし、今はリアルタイムで得られる気象情報をもとに臨機応変に対応できるシステムも確立されています。海の上を止まらずに進む船舶は、意外と早く確実に荷物を届けられるのです」
 一方でクルマの所有が増えるに従って乗用車でフェリーを利用する人も増え、観光航路としても脚光を浴びるようになる。1970年代には自動車雑誌もたびたびフェリーによる優雅な旅を特集していたことを思い出す。


「北へ向かう航路はトラック主体の物資運搬がメインなので『産業航路』と呼ばれ、関西から南へ九州に向かう航路は『観光航路』と呼ばれていましたね。でも、それも80年代になってクルージングブームが到来すると、北へ向かう航路も観光フェリーが増えてきます。73年のオイルショック、79年の第2次オイルショックのときは原油の高騰で運休が続出しましたが、その後のバブル景気への流れのなかでフェリーも客船並みの設備を持つようになり、優雅な旅というイメージが定着していくことになります」

カーフェリー きそ
2005年に就航した「きそ」。客室は3層になっており、下部にトラック183台、乗用車113台を収容。(資料提供:太平洋フェリー)

カーフェリーきそ 船内
「きそ」の船内の様子。客船と変わらない豪華な船内。広々としたラウンジや展望浴場、清潔感ある客室など、優雅に旅を楽しめる。OAデスク(右下)も設置され、ビジネスユースにも配慮している。(写真提供:太平洋フェリー)


 自分のクルマを遠方まで運んでくれる、という点では80年代に運行されたカートレインもあったが、影響はあったのだろうか?
「カートレインの影響は全くなかったですね。カートレインは季節運行でしたし、いつの間にか消えてしまいましたが、なくなった時期もよく分かりませんでしたよ」
 そしてここにきて休日の高速道路1000円乗り放題というライバルも登場し、各地のフェリーは利用者数の減少に悩まされているようだが……。


「大きな影響がありますが、高速道路とは違ったニーズがあると考えています。フェリーを利用する方は長いスパンでの旅行をなさることが多いですし、われわれもフェリーならではの旅を演出するなどさまざまなアイデアを提供しています。まだ実現はしていませんが、船上ドッグランを設けてペットとともに楽しんでいただくとか、船旅をより楽しんでいただけるサービスも考えています」
 長距離走行が厳しい旧車でも、カーフェリーを使えば遠くまで愛車を持ち出すことができ、旅の楽しさも格別なものとなる。加えて高速道路での移動に比べてCo2のトータル排出量が少ないという『エコ』もこれからは重要なポイントだ。40年におよぶ長距離フェリーの歴史に思いをはせつつ、古き愛車を連れてのんびりと船旅を楽しむ。これこそが最高の贅沢だろう。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2009年8月号 Vol.134(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)