昌子源から鳥取の恩師へ届いた返信。「ポーランド戦、絶対に勝ちます!」

昌子源から鳥取の恩師へ届いた返信。「ポーランド戦、絶対に勝ちます!」

 6月19日、日本vs.コロンビア戦のキックオフを約1時間後に控えた20時過ぎ。鳥取県米子市にある米子北高校の第1会議室から、大歓声が上がった。

 この日、サッカー部員や学校関係者に加え、米子市の伊木隆司市長も駆けつけての観戦会が行われた。その試合を前に、同校出身のDF昌子源が、先発メンバーに名を連ねたことが発表されたのだ。

「情報はまったく調べていなかったので、その瞬間まで分かりませんでした。発表されたときは興奮したし、少しホッとしましたね」

 同校サッカー部の城市徳之総監督は、心境をこう振り返る。昌子が在籍した2008年から2010年までは、監督として指導した。教え子のワールドカップ・デビューを「特に後半は、落ち着いてプレーしていましたね。安定していたと思います」と振り返った。

1年のときから物おじしなかった。

 中村真吾監督は、コロンビア戦の数日前から、日本の先発の顔ぶれがどうなりそうなのか、インターネットの記事を読み漁っていた。

「8割くらいは槙野智章選手が先発するだろうと思っていたので、うれしかったですね」

 在籍時はコーチとして、城市監督とともに昌子を指導した。ラダメル・ファルカオなど名だたる攻撃陣に立ちはだかるプレーを見ながら、「いつもよりもポジショニングが細かくて、落ち着いている」と感じた。

 同校の食堂のスタッフとして歴代のサッカー部員を見守っている小川真紀子さんは、自宅で観戦していた。1年のときから大人にも物おじせず、気軽に声を掛けてきた昌子とは卒業後も交流があり、自宅にはサインが飾ってある。

 試合終盤のピンチでは、体を張って相手に立ちはだかった。「プロになっただけでもすごいと思っていたけど、ワールドカップに出るなんて。こんなにすごかったんだ」と感慨に浸った。

試合終了後40分ほどで「勝ちました!」

 勝利の瞬間、第1会議室からはこの日一番の大歓声が湧き起こった。直後に城市総監督が昌子の携帯電話に祝福のメッセージを送ると、40分ほどで返信が来たという。

「『勝ちました! ありがとうございます!』って。ロッカールームに戻って、着替えてすぐくらいじゃないかな。落ち着いてから返信してくれればいいのに。律儀なところがあるんですよ」

 鹿島アントラーズで地歩を固め、Jクラブ所属の選手では唯一、先発メンバーに名を連ねた昌子源。10年前に入学した米子北高校でのプレーが、キャリアの大きな転機だった。

 2008年、G大阪ジュニアユースから米子北高校に進んだ昌子の当時のポジションは、FWだった。

 Jクラブのアカデミーで磨いた技術は一級品で、キックも素晴らしいものを持っていたが、「うまくてボールを持てるがゆえに、判断のスピードが遅いところがあった」(城市総監督)。足を止めてしまうことが多く、堅守速攻をベースとする米子北高校のスタイルでは、持ち味を発揮しにくい状況にあった。

泣いている昌子に語りかけたこと。

 城市総監督は「オールラウンドな能力があったので、あのままFWでもプレーできただろうし、アタッカー、ボランチ、サイドバックでもできたと思う」と語る。だがチーム事情も踏まえて、1年の途中でセンターバックにコンバートすることを決めた。

 本人の将来も考えた上でのコンバートだったが、得点を決めることが好きだった昌子にしてみれば、面白くない。親元を離れての寮生活によるホームシックも重なり、ある日の練習中に涙を流し、途中で寮に帰ってしまった。

 その日の夜、寮に向かった城市総監督は、泣いている昌子に語りかけた。

「きちんと練習すればスーパーな選手になるし、やらなければダメな選手になる。真ん中はないと感じていました。だから『スーパーな選手とダメな選手、どっちになりたいんだ』と聞いたら、『スーパーな選手になりたい』と答えたんです。本人がそう思っているのは分かっていました。だから『それなら、やるしかないだろ』と」

卒業後には食堂へと足を運び……。

 センターバックになる決意を固めた昌子は、守備の基本をイチから学びながら、徐々に力を伸ばしていった。2009年、2年時のインターハイ予選までは控えだったが、全国大会では先発メンバーとなる。

 米子北高校は快進撃を見せ、鳥取県勢としても過去最高となる準優勝の好成績を残した。昌子は、相手の攻めをはね返すプレーが得意な3年生と最終ラインの中央でコンビを組み、危機察知能力を生かしたカバーリングや、速攻の起点となるロングフィードで貢献した。

 これを機に注目の存在となると、3年生になっても成長を続け、鹿島アントラーズから誘いを受けた。城市総監督は「カバーリングは得意だけど、足元のボールに激しく当たりに行けないところがあった。精神面も含めて良いところ・悪いところをすべてスカウトの方に伝えて、それでも『獲得して、育てたい』と言ってもらったんです」と振り返る。

 2011年3月1日、一足早く鹿島の練習に参加していた昌子は、米子北高校に戻って卒業式に出席。式が終わった後に向かったのは、食堂の小川さんの元だった。

「他の選手は友達と騒いだりしていたけど、昌子くんは仲間2人を連れて、あいさつに来てくれました。礼儀正しくて、律儀な子。『プロで頑張るよ!』と言ってくれた優しさが忘れられません」

プロ1年目には母校の円陣に参加。

 鹿島に進んでからも時折、鳥取に帰ってきた。プロ1年目の2011年には、ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝でベンチ入りして優勝を経験した翌日、高校選手権予選決勝に臨む母校の応援に訪れ、試合前の円陣にも参加。旧知の関係者にプロでの様子を聞かれると、「試合に出られなくても、練習のレベルが高いから、めちゃくちゃ成長してますよ!」と声を弾ませた。

 やがて鹿島で不動の存在となり、2014年からは日本代表にも選ばれるように。昨年8月のワールドカップ最終予選・オーストラリア戦では先発フル出場し、2−0の勝利と予選突破に貢献した。

セネガル戦でも起点の縦パスが同点弾に。

 その後は定位置争いで後れを取ったかと思われた時期もあったが、ワールドカップで先発の座を勝ち取った。中村監督はあらためて、「高校時代から、持っている能力が計り知れなかった」と思い出している。城市総監督も「ワールドカップの舞台に立つことは、本当にすごいこと」と喜んだ。

 セネガル戦でも先発フル出場した昌子は、FWムバイェ・ニアングらと激しくマッチアップし、攻撃では自らドリブルで持ち上がる積極性も見せた。78分には岡崎慎司への鋭い縦パスが、本田圭佑の同点ゴールにつながった。

「ガツガツ当たりに行っていて、ビルドアップにもよく参加していた」と評した城市総監督は、今回も試合終了直後に携帯電話へメッセージを送った。

「お疲れ様。ポーランド戦も粘り強く、タフに戦ってください」という激励に、今度も1時間ほどで返信が来た。

「ありがとうございます! 次は絶対に勝ちます!」

文=石倉利英

photograph by Kazuo Fukuchi/JMPA


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