稀勢の里の引退で思い出した、1人で福岡に通っていた懸命な姿。

稀勢の里の引退で思い出した、1人で福岡に通っていた懸命な姿。

 横綱として迎える2場所目となる2017年の5月場所を終えて、6月に入る頃でした。

 早朝便で羽田から福岡に向かう、稀勢の里関の姿がありました。

 同じ便に乗っていた僕は福岡空港に着いた時、取材や番組でお世話になっていたため、横綱に挨拶に行きました。

 そこで、少し話をしてくれました。

「福岡に痛めた肩を治してくれる先生がいて、空いた時間はここに通っているんだよね」

「横綱としてできるだけ長く、良い一番を取りたいからね、早く治さないとね」

「今回は1人でね、自分で治療院に行きますよ」

 上手く動かない左肩を見ながら、そう語る横綱に付き人の姿はありませんでした。空き時間に人目に触れることなく、一刻も早く痛めた左肩を治すために、1人で福岡に通っていたのです。

治療の努力を見せない心意気。

 当時、僕は番組のオンエアで、このエピソードを明かしませんでした。自分のためというより、横綱として長く生き続けるために、この治療の努力を見せない。ファンの前では横綱として絶対に痛くない、問題ないと言いたい、というニュアンスを強く感じたからです。

 カメラの前では決して多くを語らない男、皆さんからはそんな印象が強いはずです。

 ただ、普段は朴訥とした印象とは少し違い、オンエア前の控室では色んな話をしてくれる男です。好きなスポーツや腕時計の話、家族の話、最近の出来事など、相撲以外の話を笑顔で気さくに話してくれる。だからこそ彼の周りに人は集まり、愛され、支えられ、メディアからも横綱として期待されてきたのでした。

ギリギリの身体とプライド。

 若い頃からとにかく休まなかった。怪我を抱えようが、腸ねん転になろうが、土俵に立ってきた稀勢の里関。休まないということがポリシーだった男が、横綱に辿り着いた時には、身体はギリギリの状態でした。横綱として生きるための、治療の日々。その姿を周囲に見せたくないというプライドがあったと、あの空港での言葉を今、思い出しています。

 横綱としての運命を生きた稀勢の里関。この経験を、これから生まれるであろう横綱に伝え、いつか横綱を生む存在になってほしい。それだけ豊かな人間力を持ち、周囲には言えない、言わない苦しき経験をしてきたと思います。

 とにかく今は傷だらけの心身を癒し、次なるステージへ準備を整えてもらいたい、そう強く願います。

文=田中大貴

photograph by Kyodo News


関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索