イタリアの夏の主役は“アズーレ”。女子W杯躍進の裏に偏見の歴史。

イタリアの夏の主役は“アズーレ”。女子W杯躍進の裏に偏見の歴史。

 カルチョの国が“アズーレ”に沸いた。

 フランスで行われた女子W杯では、史上初めて欧米勢がベスト8を独占したことが話題になったが、その一角を占めたのが20年ぶりに出場したイタリアだった。

 ユニフォームの蒼色に由来する代表の愛称「アズーリ」は男子チームのもので、女子チームは女性形で「アズーレ」と呼ばれる。

 アズーレによる快進撃は国中を魅了した。

 大会中継の視聴率は試合ごとに上昇し、準々決勝のオランダ戦では最高視聴率44.35%を記録。3週間前に男子代表がギリシャ相手に3−0で勝ったEURO2020予選中継の28.8%を大幅に上回った。全国のサッカー少女たちだけでなく、男たちも個性豊かなプレーを見せる女子のサッカーに目を見張った。

 今月末に御年78歳になるセルジオ・マッタレッラ大統領まで興奮し、帰国した彼女たちを大統領府に招いて「この国の女子サッカーに光明を与えた」と最大級の祝辞を与えたほどだ。

W杯前の関心は低く、年収も3万ユーロ。

 イタリアの6月は、女たちの夏だった。

「我が国の女子サッカーは他国より20年遅れている」

 大会前、女子代表監督ミレナ・ベルトリーニは何度も強調した。意外なようだが、まさに国民的関心事である男子サッカーへの熱の入れ様に較べ、イタリアでの女子競技の認知度や経済規模は著しく劣っている。女子代表選手の平均年収は、3万ユーロ(約365万円)に満たない。

 スクールスポーツとして根付き、優れたインフラを誇る米国や女子クラブシーンの巨星リヨンを擁するフランスとはわけがちがうのだ。

 20年ぶりのW杯出場を果たしたイタリアがグループリーグを突破する可能性は決して高くなかった。何しろグループCには、世界ランキング6位のオーストラリアと“女版ジーコ”FWマルタを擁する強豪ブラジルがいた。

 だから、バランシエンヌでのグループリーグ初戦で、イタリアがオーストラリアに波乱を起こしたとき、世界中の女子サッカー関係者たちは少なからず驚いたはずだ。

歴史的勝利で勢いに乗るアズーレ。

「相手GKが『RUN! RUN!』って叫んでるのが聞こえたんです。DFは私に気づいてなかった。ボールを奪った後、無我夢中で走りました!」

 前半に先制されたイタリアだが、焦らずサイドから崩しにかかり、56分、敵陣で鮮やかにボールを奪ったMFバルバラ・ボナンセアが同点ゴールを突き刺した。ポニーテールをなびかせた痩身のボナンセアは、後半アディショナルタイムの95分にもヘディングで決勝弾を決め、イタリアは歴史的1勝を上げた。

 続くジャマイカ戦もFWクリスティアーナ・ジレッリのハットトリックなどで5−0と大勝。最終節のブラジル戦こそ0−1で惜敗したものの、イタリアは堂々のグループ首位で決勝トーナメントへ駒を進めた。

 この頃にはイタリア中で女子代表の快進撃が話題になっており、特に10代の少女育成部門を持つ各地のクラブでは、クラブハウスにチームメイトが集まり全員で声援を送るスタイルが流行。就学前の女児たちまで「私もサッカーやりたい」と言い出し、国中の家庭に“アズーレ・ブーム”が起こった。

主将ガマは4カ国語を操る秀才。

 代表のシンボルは、主将のDFサラ・ガマだ。

 巨大なアフロヘアと抜群の闘志で最終ラインを統率する。昨季はやはりキャプテンを務めるユベントスでスクデット2連覇を達成した。

 コンゴ人の父を持ち、4カ国語を操る才女ガマは、多文化共生時代といわれる現代イタリアを象徴するアスリートの1人であり、選手協会の代表としてFIGC(イタリアサッカー連盟)の女子サッカー発展委員会の座長も務めている。

 世界的玩具企業のマテル社からは“あらゆる女の子たちの夢を後押しする存在”として、同社の看板商品であるバービー人形のスペシャルモデルに抜擢された。

 代表選手の多くは、幼い頃周りから与えられた人形の頭をもぎ取って、外へボールを蹴りに出ていくような子たちだったから、ガマもまさか自分がバービー人形になるとは夢にも思ってなかったにちがいない。

 大人になった彼女たちは、ラウンド16で中国代表に2−0の完勝を収め、代表史上最高成績であるベスト8に並んだ。

なでしこ撃破のオランダに敗戦。

 トーナメントの別の山ではアメリカが順調に勝ち上がっていた。東京オリンピックの欧州予選を兼ねる今大会で欧州勢トップ3、つまり準決勝に進めば五輪への切符は手に入る。

 準々決勝の相手は、代表監督ベルトリーニが「女子サッカー界のバルセロナ」と高く評価、警戒していた日本代表ではなく、なでしこを破った欧州王者オランダだった。

 15時スタートだった試合はキックオフの時点で気温32℃を記録、選手たちはオーストラリアを破った地バランシエンヌで太陽に焼かれた。

 猛暑の中、前半は凌いだが、後半の2つのFKからゴールを割られた。2度の給水時に反撃の勢いが削がれ、3度あった決定機を生かせず、ベスト4進出はならなかった。東京五輪の出場権獲得は幻に終わった。

 イタリアの守備陣は大会5試合を通して4つの失点を許した。だが、いずれもセットプレーからのもので、流れの中から失点することなく、彼女たちは大会を去った。

下着を剥ぎ取ろうとする観客も。

“サッカーは女のするスポーツじゃない”。

 カルチョの国にはびこる偏見は根強い。

 イタリアで女子サッカーが萌芽したのは1930年代とされている。ファシズムの時代、ミラノで行われた最初の非公式試合で、女子選手たちはスパイクにロングスカートという出で立ちでプレーしたらしい。

 第二次大戦後、各地でクラブ設立の散発的な動きはあったがどれも長くは持たなかった。68年にリーグ戦が始まり、代表活動もようやく動き出したが、女子サッカーはまだまだ色眼鏡で見られていた。

 1970年、イタリアで非公式の世界大会が開催された。決勝戦でデンマークがイタリアを2−0で下すと、観客たちは雪崩を打ってグラウンドに乱入した。どさくさに紛れて選手たちの下着を剥ぎ取ろうとしたのだ。

(この話を聞いた現代表GKラウラ・ジュリアーニは「もし私にそんなことをしてきたら、3、4人病院送りにしてやるわ!」と憤慨した)

 '76年にはパオラ・ブレシャーノという現役のセリエB選手が、美の極致である「ミス・イタリア」コンテストで優勝する椿事もあった。ブレシャーノの美脚には10億リラの保険金がかけられた。

サッカー場がストリップ劇場のように……。

 極めつけは『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙のベテラン記者の回想だ。

「まだ中学生だった70年代中盤、ミラノで細々と行われていた女子のリーグ戦を友達と見に行った。そしたら入口で『14歳未満不可』と言われて入場を断られたんだ。どういうことだとグラウンドに忍び込んでみたら、理由はすぐにわかった。観客は大人の男たちばかりで、彼らは思いつく限り品のない野次と罵りで選手たちの身体的特徴をからかっていたんだ」

 まるで場末のストリップ劇場みたいに卑猥物扱いされた先達たちが、屈辱に耐えながら連綿とリーグ戦の歴史を絶やさなかったおかげで、80年代以降イタリアの女子サッカーは一度隆盛期を迎えた。

 ベルトリーニや代表歴代得点王パトリツィア・パニコといった名選手たちが次々に輩出され、彼女たちは後に指導者へと転身した。44歳のパニコ女史は現在、U-15“男子”代表監督を務めている。

「W杯に出た現代表チームへのジェラシーなんて毛頭ありません。むしろ彼女たちの活躍が、私たちの世代が払った犠牲や代償にきちんと意味があったことを証明してくれているのです。彼女たちの歩みは私たち代表OGにとって大きな誇りですよ」

欧州で沸き立つ女子サッカー。

 近年、FIFAとUEFAは女子サッカー振興へ一層力を入れ始めている。イタリアでも大規模なリーグ改革が行われ、長く全国アマチュアリーグ機構の管轄下だった女子セリエAが昨年から連盟の直轄になった。

 新規ファンと市場開拓を狙うユベントスが女子チームを設立し、昨季までスクデット2連覇を果たしている(現代表でもユーベ組は最多8人を占める)。今年3月には、男子チームの本拠地アリアンツ・スタジアムでフィオレンティーナとの大一番に臨み、3万9027人の記録的大観衆を集めた歴史的ゲームもあった。

 連盟には、主将ガマを中心に代表選手たちから、このアズーレ・ブームに乗じた女子セリエAの早期プロ化の訴えが届いている。

 ただし、拙速なプロ化には懸念も多い。昨年秋に就任した連盟会長ガブリエレ・グラヴィーナは、女子リーグのプロ化は中長期的目標の一つであるとしながら「まずはこのブームを競技人口増大につなげることが優先」と慎重姿勢を見せている。

「敗因は競技人口の差」

「今大会で私たちはイタリア女子の現在地に自信を持つことができました。敗れた夜は何度も夜中に目が覚めたけれど、冷静に考えれば強いチーム(オランダ)が勝った。敗因は競技人口の差です。オランダはイタリアよりずっと小さい国なのに総人口1700万人のうち女子の登録競技人口が16万人もいる。翻って(人口約6000万人の)イタリア女子の登録者は2万4000人しかいない」

 大会後、指揮官ベルトリーニは毅然と語った。

「これから女子サッカー人口が増え、我々のセリエAへ関心がより高まれば、イタリア代表は必ず今より強くなります。メディアや国民の皆さん、この後もどうかアズーレを見守り続けてください」

 指揮官は万感の思いで懇願した。20年ぶりの快挙を果たした女傑には早晩、連盟から契約更新のオファーが届くだろう。8月末には2021年のEURO予選が始まる。

今回の敗戦は未来へつながる。

 20年前の女子W杯アメリカ大会のことを克明に覚えている選手は誰もいない。それでも、アズーレの戦いぶりはイタリア国民の心を打った。五輪の夢が散り、涙はあっても、悔いはなかった。

 ここで倒れても、後に続く子たちがきっと現れてくれるから。彼女たちは、過去への思いも未来への希望も背負って戦っていた。

 9月14日、新シーズンのセリエA開幕戦に、初めてサッカーの試合を見る少女ファンがどれだけ集まるだろうか。アズーレが見せた快進撃の本当の価値は、20年後にわかるのかもしれない。

文=弓削高志

photograph by Getty Images


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