中村匠吾は「天性の夏ランナー」。MGC優勝を導いた1年前の完璧な準備。

中村匠吾は「天性の夏ランナー」。MGC優勝を導いた1年前の完璧な準備。

 9月15日に行われたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)を制し、東京五輪男子マラソンの代表に内定した中村匠吾(富士通)。残り3キロで被っていた帽子を脱ぎ捨てると、そこから2度のスパートをかけてライバルを振り切り、2時間11分28秒で優勝した。

 最後の上がり2.195kmを「6分18秒」で走り抜いた末脚はスピード感にあふれ、ラスト800mの坂で一瞬先頭に立たれた大迫傑を抜き返し、さらに突き放したシーンは、見ている者に強さを感じさせた。

「MGCに向けて練習をしてきた中で、決してすべてが順調という訳ではなかった。けれどもその中で、昨年のベルリンマラソンに出場したときと同じ流れで合宿と練習のパターンを組めたことは、ひとつ強みだったと思う」

 中村は落ち着いた口調で、“成功”の背景を語った。

1年前のベルリンで、夏の調整を実験。

 今回のMGCに向けた練習計画のひな形になったのは、昨年9月16日のベルリンマラソンだ。

 初マラソンだった昨年3月のびわ湖毎日マラソンでMGC出場権を獲得した中村陣営は、「早く権利を勝ち取っている以上、1年前にシミュレーションを組もう」と作戦を練った。

 MGCからちょうど1年前に行われるベルリンマラソンをターゲットとして、夏場の練習メニューや高地合宿のタイミングをシミュレーションした。

 ベルリンのレース本番では、周りにペースメーカーも誰もいない状態でほぼ1人で走り切り、2時間8分16秒で4位という好成績。富士通の福嶋正監督も、「ベルリンで良いレースをしたことにより、高地合宿がすごく合っていることが分かった。今回のMGCに関しては去年成功したのとある程度同じパターンに落とし込むことができた」と振り返った。

 とはいえ、すべてが順風満帆という訳ではなかった。5月に右腓骨、7月に左膝を相次いで負傷して、それぞれ約2週間練習をこなせなかったのだ。

 特に7月22日からの10日間はジョグも一切なし。チームメートの荻野皓平、鈴木健吾とともに行っていた北海道・釧路での合宿を1人だけ切り上げて病院で検査を受けると、ヒザに炎症があった。

高地に入った翌日から走れる体質。

 それでも、8月6日から予定していた米国パークシティーでの高地合宿でしっかりと練習をこなせれば、MGCに合わせられるという自信はあったようだ。パークシティーは昨夏にも行った勝手知ったる場所。

 卒業後も指導を仰いでいる駒大・大八木弘明監督こそ不在だったが、気心の知れたトレーナーや、三重・上野工業高校(現・伊賀白鳳高校)と駒大の後輩で、今春に富士通へ入社した下史典がトレーニングパートナーとして同行。宿も食事をつくってくれるスタッフも昨年と同じという環境で、質の高い練習を踏んでいった。

 高所トレーニングに対する適性もあった。普通なら酸素濃度の薄い空気になれるために数日の順応期間が必要だが、中村はすぐに順応できる体質で、「行った翌日からポイント練習をしても普通に走れる」(福嶋監督)。

今までにないほど体が軽い感覚。

 こうして、標高2100mのパークシティーで過ごした最後の10日間に一気に状態を上げていった中村は8月30日に帰国すると、すぐに標高1300mの菅平で準高地合宿を張り、9月8日に下山した。これもベルリンマラソン前と同じ流れだ。

 8日と翌9日はちょうど台風15号が千葉県を襲ったタイミングだったが、停電などの影響を受けたチームメイトもいる中で、中村は被災エリアではない場所にある自宅に戻っていたため、打撃を受けずに済んだ。

 こうして迎えたMGC本番。膝の負傷によって回避していた8月2日の試走の代わりに、レース前日の9月14日朝6時からラスト5kmの試走を行って最終準備を済ませていた中村は、今までにないほど体が軽いという感触を持ってスタート位置についた。

 唯一の不安は、ベルリン前に6、7回行った40キロ走を2、3回しかできていなかったこと。しかし、結果としてレース終盤まで体調は良いままだった。ケガによる強制的な休みで、うまい具合に疲労が抜けていたのだ。

嘔吐しても、走りに影響はない。

 天候にも後押しされた。

「暑くなれ!」

 これはレース前に陣営と中村自身が何度も念じた“呪文”のようなもの。MGC当日の天気予報は数日前には「雨」だったが、その後「曇り」になり、さらに当日は朝方こそ曇っていたが午前8時50分のスタート時には晴天。残暑の日差しを浴びた中村には、気温上昇という味方も加わっていた。

「暑さはそこまで感じなかったし、汗もそこまで出ていなかった」

 さらっと言う様子には、余分なことに気を取られない図太さもにじみ出ていた。36キロ付近では嘔吐したが、それも気にならなかったというのだ。

「少し内臓に来ていた部分があって、途中でお腹がきついときがあったのですが、嘔吐したら逆に楽になった。去年のベルリンでも途中で嘔吐していたけど、問題なく走れていたので今回も特に焦ることもなかった。後半40キロ過ぎからの勝負だと思っていたので影響はなかったです」

チームで走ることはやはりプラスになる?

 レースでは、ワイルドカードで出場権を得た荻野と鈴木を合わせてチームから3選手が出ていたこともプラスに働いたという。

 同チームから4選手が出場していたトヨタ自動車の服部勇馬が2位になったのもしかりだろうが、仲間の存在により「レース中に気持ちのゆとりがあった」(福嶋監督)という。

 実際に、設楽悠太が先頭を独走していた時間帯に第2集団で鈴木が先頭に出ることが何度かあったのだが、「鈴木選手が途中で仕掛けてみんなの体力を奪ってくれた。それも勝てた要因だと思う」と中村は感謝する。

 東京五輪の本番まで約11カ月。今後は基本的にこの1年間で手中に収めた「勝ちパターン」を踏襲しながら、来年8月9日午前6時のスタートまで続くカウントダウンの日々を過ごしていくことになる。

わずか1リットルの給水で走りきった。

 また、中村自身の言葉を使えば現段階では「僕が暑さに強いという科学的根拠はない」が、日本陸連による分析などが進めば手持ちのカードも増えていく。

「今回はスペシャルドリンク以外にも水や氷などを用意してもらったので、それを確実に取って水分補給を意識したのが良かったと思う。給水は多分1リットルくらい。気温はそこまで上がりませんでしたが(フィニッシュ時28.8度)、それが最後の2.195キロをしっかり上がれた要因かなと思う」

 わずか1リットルの摂取という少なさには驚くばかりだが、ともあれ40キロを過ぎてからの2.195キロは6分18秒。

 かつてラスト100mを11秒台で走る余力を誇った瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「私はラスト6分22秒だった。中村君は相当速いラストの上がりです。こういうラストの上がりをすると東京五輪でも通用すると思う」と称える。

「昔から夏はレースや練習を含めて大崩れしたことがなくて、毎年だいたい8月、9月に体のピークを持ってこられる。それが一番なのかなと思う」(中村)

 汗をかかない。暑さに強い。夏に自然とピークが来る。アクシデントにも動じない図太さがある。高所トレーニングがよくハマる。そして今回のレースでは、最後の坂道の使い方も含めてコースの特徴をほぼ完全に掌握した。勝ちパターンを手に入れた天性の夏ランナーが東京五輪を突っ走ってくれそうだ。

文=矢内由美子

photograph by Takuya Sugiyama


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