おちゃらけキャラだが実は「巧い」。浦和・森脇良太、異能の400戦出場。

おちゃらけキャラだが実は「巧い」。浦和・森脇良太、異能の400戦出場。

 試合前、選手紹介で浦和レッズの森脇良太が呼ばれただけで、相手サポーターから盛大なブーイングが沸き起こる。これはFC東京、鹿島アントラーズなどの相手だけでなく、あまりブーイングをしないイメージがある川崎フロンターレのゴール裏からも響き渡ったと記憶している。

 一方で、浦和においては森脇へのブーイングは今や無いと寂しい“お約束”と言っていい。

 ファールギリギリの激しいプレー。そしてテレビやピッチなどで見せるひょうきんなキャラクターもあってか、いたるところでブーイングを浴びがちだが、浦和サポーターからのそれは温かみがあるように思う。

 それは森脇良太という選手の価値を、浦和サポーターが実感しているからこそだろう。

ただの“おちゃらけ”選手ではない。

 森脇は第24節・松本山雅戦で歴代105人目となるJ1・300試合出場の偉業を達成した。またJ2での100試合を加えるとJ通算400試合に到達した。

 2013年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督に請われてサンフレッチェ広島から移籍すると、元日本代表DF坪井慶介から右センターバックのレギュラーを奪取。その後、遠藤航、岩波拓也、橋岡大樹らが毎年加入しても森脇は負けなかった。

 昨シーズンは3度の肉離れで思うようなシーズンが送れず、今季は大槻毅監督になり、控えに回るケースも多くなったが、新境地となるリベロで起用され、33歳のいまでもプレーの幅は広がっている。

 ただの“おちゃらけた選手”では、厳しいプロの世界は生き残れない。

 ではなぜ、森脇はライバルをはねのけ、J1・300試合出場ができたのか。

 その大きな要因として、ともにプレーした選手は誰もが認めるが、一般的なイメージは薄いであろう「技術の高さ」がある。

「阿部ちゃんと同じくらい巧い」

「あいつは阿部(勇樹)ちゃんと同じくらい、浦和で1、2を争う巧い選手」

 こう評価するのが広島と浦和時代のチームメイトで、現在は横浜F・マリノスの李忠成である。

「見栄えはしないけど、判断、クサビの入れ方、トラップ、パスと基本技術が高い。試合で監督が選手を交代しても最終的にピッチに立っているのはモリ(森脇)。でもキャラ的にみんな、アイツを認めたがらないけど(笑)」

 また今季、浦和に加入した山中亮輔はこう話す。

「身体的にはそんなに優れていないけど、そこをカバーするだけのプレーの正確さ、プレー直前で判断を変えて逆を取る“巧さ”がある。両足、特にサイドチェンジで蹴ることができるのも魅力です」

 さらに汰木康也も「巧くてびっくりしました。サイドであれだけ余裕を持って、落ち着いてプレーはできない。浦和の顔だと思います」と評していた。

岡本拓也が肌で感じた凄み。

 ポジションを争う立場として森脇の凄みを肌で感じたのが、湘南ベルマーレの岡本拓也である。2015年、V・ファーレン長崎の期限付き移籍を経て浦和に復帰した時、森脇のプレーに強いインパクトを受けたのだという。

「今まで(森脇に)巧いイメージはなかったけど、パスや“止めて蹴る”ことがメチャメチャ巧くて、クサビを入れるタイミング、質もいいんです。特に右足から左足に持ち替えてのクロスがうまい。長崎から戻ってきて“正直、自分は試合に出られない、同じ土俵で勝負できない”とさえ感じました」

 同じプロが認める技術の高さ。その原点はどこにあるか。それは森脇が幼い頃に住んでいた自宅の小さな庭にある。

父に叱られて磨いた左足の技術。

 この庭で森脇はドリブル、リフティングを毎日のようにやっていた。またブロック塀に描いた大きな的をめがけて、右足で3m、5m、10mと少しずつ距離を伸ばし、イメージ通りに蹴れるように努力していた。

 褒めてもらおうと父親に話したところ「お前、プロになりたいんだろ!? だったら、左足もできなきゃダメだろ」と逆に叱られた。その日から左足を練習し、利き足の右と同じく蹴れるようになった。その努力はプロになって大きな武器となった。

 テクニックの高さだけではない。人を惹きつけるものが森脇にはある。

 実は加入当初、山中は森脇に良い印象を持っていなかったそうだ。

「浦和に来る前は嫌いな選手でした。プレーに関係ないところで(目立って)……というのもあってですね。でも、浦和に来てから、その考えは全く変わりました。一緒のチームにならないとわからない人間性がある。親しみやすいキャラですし、同じチームだからこそ好きになれました」

 汰木もこのように話す。

「昔から知っている人じゃないと、自分から話すことができず、いつも一歩、引いていたところがありました。でも、浦和に来てモリくんが話しかけてくれて、チームにスッと入ることができました」

プロ15年目まで続けられるとは。

 プロ15年目で迎えたJ通算400試合。だが、当の本人はここまでプロ生活が続くとは思っていなかった。

「1年目のとき(周囲の)テクニックが高くて、判断も速くて全ての面でレベルが違っていた。当時の広島には(服部)公太さん、森﨑兄弟、(大木)勉さんとうまい選手が揃っていて、このメンバーのなかで自分が25歳までプロを続けられる自信は全くなかった」

 そんな森脇にプロの自信を植え付けたのが2年目の'06年、期限付き移籍したJ2愛媛FCでのこと。「もう2度と広島に戻れないかもしれない」という気持ちで必死で過ごした毎日だったことは確かだ。

なにくそ精神の“バッファロー”。

 森脇のプレーでの特徴は、自分へのブーイングすら聞こえなくなる集中力である。この状態を森脇自身は“バッファロー”と名付けているが、これは愛媛で培ったスタイルだ。

「例えば同い年の本田(圭佑)選手は“何年後かの自分を想像している”と話していた。でも自分はそれを“かっこいいな”と思うだけで、ここまで続けられるとは想像すらできなかった」

 本人の言葉を借りれば、「なにくそ精神」で戦った15年間。その足跡がJ通算400試合出場となったのだ。

 森脇はサインを書く際、広島時代からの座右の銘「夢は叶う」と書く。

 33歳となったいま、次なる夢は何か? そう問うと「何かな? 宝くじを当てることかな」と冗談めかしながらも「いや、今が一生懸命だから」と笑った。

 一瞬、一瞬に懸ける気持ち。森脇良太がブーイングに負けない理由はそこにある。

文=佐藤亮太

photograph by Getty Images


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