稲垣啓太、「0.166秒」の微笑み。 笑わない男とカメラマンの真剣勝負。

稲垣啓太、「0.166秒」の微笑み。	笑わない男とカメラマンの真剣勝負。

 ほぼ2週間が経った。

 ラグビーワールドカップが終わってから1週間ほどは、俺、もしかしてマジでヤバイか? と心配になるほど、なんだかものすごく疲れていた。内臓も、脳みそも、背中の筋肉も、網膜も、全てがすり減っていた。

 なんでこうなの?

 理由がわかったのは、ある日こんな話を聞いた時だ。

「なんか、編集者も、ライターの人も、みんなものすごく、シャレにならないくらい疲れがとれないらしいですよ」

 仕事で関わった人たちだけではない。行きつけの美容師さんまで、なんかずっと疲れが抜けなくて、とぼやいていた。

 そうか、ワールドカップでボロボロになったのはどうやら選手だけではなかったようだ。1試合で交通事故数回分の衝撃を受けるプレーする側とは比較にならないけれど、観る側も毎週末全身の筋肉をパキパキに固まらせて、興奮度マックスでニッポン、ニッポンと叫んでたら、そりゃあまあ確かに疲れるはずだ。

 今現在発売中のNumber PLUS「桜の証言」はそのラグビーW杯総集編だ。ジャパンの敗戦から2日後に撮影とインタビューを担当させてもらったガッキーこと稲垣啓太選手の記事が載っている。

 敗戦の翌日だった。編集部のWくんから電話が入って「明日空いてますか?」と聞かれた。僕はその時、世田谷区三宿にあるお寿司屋さんでコハダだったか、車海老だったかの握りを食べていた。

 空いてます、と答えると、「稲垣啓太選手の取材できそうなんで準備してください!」とのこと。いい、ガッキーかよ! 三宿で寿司なんか食べてる場合ではない。ガリを二、三枚口の中に放り込んで、お勘定を済ませた。

どうやってこの男を笑わせてやろうか。

 そこからおよそ15時間ほど、ひたすら考えたのは、どうやってこの笑わない男を笑わせてやろうか、ということである。

 編集部との電話から遡っておよそ24時間前、南アフリカに敗れた試合後、ほんの1、2分間のことではあったけれど、ガッキーが仲間と抱擁しながら涙ぐんでいる光景を、僕は望遠レンズ越しに見ていた。

 笑わない男は泣かない男でもある。

 チームが会場内を1周し、スタンドに向かって挨拶する頃には、ガッキーはいつものガッキーに戻っていた。バックスタンドのところへ1人で歩いてきた彼に声をかけ、そばを通り過ぎた堀江翔太選手とのツーショットをお願いしても、ガッキーは無表情に背番号2に右の手のひらを差し出しただけだった。

 堀江選手はニヤッと笑い、そんなガッキーの左胸、ちょうど桜のエンブレムのあたりをポンポンと叩いてメインスタンドの方へと歩き去って行った。どこまでもクールに決める男である。

「笑ってくれませんか」「無理ですね」

 しかし、僕もプロのカメラマンである。これでもその昔、気まぐれで有名だった20歳前の中田英寿に、カメラに向かってアカンベーをさせたことだってある。さて、ガッキーをいかにして笑わせるか? まあとりあえず、笑ってください! と1000回ぐらい頼むか。

 Wくんの考えた作戦はこうだった。稲垣選手は当日、堀江選手と福岡堅樹選手のおふたりと文藝春秋にいらっしゃいます。3人一緒のスリーショット、稲垣選手を真ん中に挟む形で写真を撮れば、もしかしてご本人もリラックスして笑っていただけるのではないでしょうか?

 Wくんは立派なご両親の元で愛情に恵まれて育った好青年である。家族写真の中ではいつもみんなが微笑んでいる、そんな家庭で育った素直で屈託のない青年というのは、笑わない男は周りに人がいればいるほどさらに笑わなくなるということを、基本的に理解できない。

 Wくんの企みは失敗に終わる。

 当日、インタビューを始める前、僕は文春ビルの会議室に3選手に集まってもらい、計画通りにガッキーを2人が挟む形で立ってもらった。シャッターを押す。ガッキーは笑わない。

 笑ってくれませんか、と僕は頼む。無理ですね、とガッキーは答える。両隣の2人に、ガッキーを笑わせてもらえませんか、と頼む。そんなん無理でしょ、と右隣の堀江翔太は答える。そのやりとりを聴きながら左隣の福岡堅樹は、これ以上素敵な笑顔はないような笑顔で笑い続けている。

 しかし当のガッキーは押しても引いても、ビクともしない。さすが日本最高のプロップ、アイルランドにもスコットランドにも押されなかった男である。だんだん虚しくなってきて、5分ほど粘ったのちにこの作戦はやめた。

わずかに微笑んだ、ように見えた。

 チャンスがあるとしたら、1対1の撮影だろう。そう考えた僕はガッキーとビルの屋上に移り、そこで再び写真を撮り始めた。もう、笑ってくれませんか、とは頼まない。ただひたすら、渋目のガッキーを撮り続ける。黙って雨模様のビルの屋上に立つ巨漢の男。休日の紀尾井町、灰色の空、静かなオフィスビル街、鳴り続ける無機質なシャッター音、ガッキーは徐々に油断してゆく。

 白雪姫の継母は何食わぬ顔でリンゴを差し出す。カメラマンはシャッターを押し続けながら、まるで急に思い出したかのように仕込んでおいたセリフをぽそりと口にする。

「ガッキーって、僕の周りの女の子たちにものすごーく人気があるんですよ。なんでですかね?」

 これは僕の作り話なんかではない。実際ガッキーは女性にとても人気があるのだ。某テレビ局の某美人アナウンサーが、「ジャパンの中で一番カッコいいのはガッキー!」と断言したときなんか、僕は途方も無い敗北感を感じたものだ。

 ガッキーはわずかに微笑んだ、かのように見え、僕はその1分後ぐらいに撮影を終了した。

穏やかな雰囲気が変わった質問。

 撮影に続くインタビューで、彼は様々な話をしてくれた。Number PLUSの文章に掲載できなかったいい話が、ふたつだけある。

 1つは宮崎合宿での地獄のような特訓の話、「本当にちびりそうになりながら」(稲垣談)夜遅くまで追い込み続けた話の時だ。僕はガッキーに、まあでも今思い出してみるとそれはそれで楽しい時間だったですか? と呑気に訪ねた時だった。

 それまでの穏やかな雰囲気からガッキーは少し真剣な口調になり、声のトーンが下がり、あの細い目でこちらをグッと見ると(ちょっと怖かった)、こう答えた。

「いや楽しくないですね、まあこれは僕個人の主観なんですけど、楽しい楽しくないでラグビーやってないんですよ。ラグビーは自分の生活するための仕事です。そこで評価を得られなかったら自分は仕事を失うわけです。

 しかもその頂点の日本代表、そこでポジションを争っているわけですよ。だから楽しい楽しくないとかではなく、これが自分の仕事なんだから、やるべきことはやらなければいけない、そんな使命感みたいなものがあるんです」

 すみませんでした。

南アフリカ戦前に用意されたサプライズ。

 もうひとつは、試合以外で大会を通じて心に残るエピソードがあれば、というリクエストに、ガッキーが語ってくれた話だろうか。

「南アフリカ戦の前のホテルでのミーティングで、ジェイミーが『今日はゲストを用意した』っていうと、最後の代表選考で落ちた選手を呼んで、彼らが部屋に入ってきたんです。布巻(峻介)、アニセ、カジ、堀越、(石原)慎太郎、(山本)幸輝。みんな来てくれました。特に何を話すっていうわけでもないんですけど、あれはとてもいい時間でしたね。涙ぐんでる選手もいました。

 どんな立場であれ、ひとりひとりがチームに対して捧げてきた情熱、あるいは犠牲っていうのは、間違いなく財産となって残っていきますから。改めて自分たちの力だけで作ってきたチームじゃないんだなって。チームの一員として日本代表のために貢献したって、そこにいた選手全員が思っていた。だからたとえメンバーから外れても、僕らは彼らのことをずっとチームの一員だと思っていましたよ」

 およそ1時間、スクラムの話、アイルランド戦やスコットランド戦の話、そして南アフリカ戦の話、どのエピソードも興味深く、いつまでも聞いていたいような物語だった。(それはNumber PLUSの記事「弱い姿は見せられない」で読んでください)

6分の1秒だけ、ガッキーは微笑んだ。

 そうだ、ガッキーの笑顔の話だった。

 インタビューが終わると、ガッキーはタクシーに乗り込んだ。窓を開けて挨拶をしてくれる彼に、僕が「ニッポン!」とふざけて叫ぶと、ガッキーは車の中から「チャチャチャ」と返してくれる。基本的に彼はそういう人なのである。

 ガッキーが去った後、僕はドキドキしながら撮った写真をパソコンのモニターで再生し始める。僕の使うニコンD5は毎秒12枚の写真が撮れる設定になっている。

 あった! ガッキーがほんの少しだけ微笑んでいるカットは2枚だけあって、そのうちの1枚はピントがあっていなかった。

 6分の1秒、それがガッキーが微笑んだ時間の長さだった。0.166秒だけか、短い。

 その写真は、Number PLUSの表紙をめくった次のページに載っている。なんだか、とても頼りになりそうな男が、こちらに向かって優しく微笑みながら。こう言っているように見える。

「やればさ、できるんだよ」と。

 次ガッキーに会った時、あんな写真撮りやがってと胸ぐらを掴まれないといいのだけれど。

文=近藤篤

photograph by Atsushi Kondo


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