古豪復活を目指す沖縄水産の今――。甲子園請負人が秘める夏への期待。

古豪復活を目指す沖縄水産の今――。甲子園請負人が秘める夏への期待。

「来年の沖水は、打倒・沖縄尚学の一番手」

 県内の野球関係者ではもっぱらの評判だ。かつて甲子園で一世を風靡した沖縄水産高校に復活の機運が高まっている。

 今秋の沖縄大会3回戦、近年の沖縄高校球界を引っ張る2強の1つ、興南高校を相手に10−2の7回コールド勝ち。また新人戦では、今秋の王者・沖縄尚学高校にも、相手が甲子園不出場メンバーだったとはいえ勝利している。古豪の今に迫った――。

 10月末でも沖縄の気候は暑い。プレミア12を前に最終合宿を張った侍ジャパントップチームの選手たちも多くが半袖でプレー。年間を通して温暖で、野球をするには最高の環境だ。

「1年中野球ができるから、昔の沖縄は弱かったんですよ」

 そう笑うのは現在の沖縄水産を率いる上原忠、57歳。別名「甲子園請負人」。

故・裁監督に憧れて、高校野球に。

 長らくの悲願であった沖縄県勢の甲子園制覇に、1980年代後半から1990年代前半に大きく近づいたのが故・裁弘義監督率いる沖縄水産だった。裁は今ほど普及を見せていなかったウェイトトレーニングを用いるなどして強化に努め、豊見城と沖縄水産の両校で甲子園出場17回(部長としても1回)。1990年、1991年には沖縄水産を2年連続甲子園準優勝に導いた。

 上原はその裁に憧れ、高校野球の監督になった。自身が中学教諭だった時代には飛び込みで指導のイロハを伝授されたこともあった。裁監督のモットーであった「大胆細心」は今も部訓となっている。

 取材時では、裁監督と同様に個々の能力を上げるトレーニングに多く時間を割いていた。取り入れている加圧トレーニングを選んだ理由は「疲れも取れやすいし怪我も少ない」とのこと。さらに現在は1、2年生だけで部員数78人という大所帯。

「バーベルの数が少ないのに部員がたくさんおるもんですから。加圧なら自重でもできますからね」

 練られたトレーニングで沖縄球児たちを日々鍛え上げている。

2016年春にやってきた「請負人」。

 前述したとおり、近年はこの両校が沖縄県内の「2強」を形成してきた。県民悲願の甲子園制覇は1999年春に沖縄尚学が果たし、その後、2008年春にも優勝。2010年には興南が春夏連覇を達成。そんな中でも上原は、中部商業高校と母校であるの糸満高校を率いて、それぞれ2回ずつ甲子園に導いてきた。実業校と進学校、カラーの異なる公立校で甲子園に導いた手腕は高く評価され、いつしか「甲子園請負人」とよばれるようになった。

 また、中部商では糸数敬作(元日本ハム)、金城宰之左(元広島)、屋宜照悟(元ヤクルト)、糸満では宮國椋丞(巨人)、神里和毅(DeNA)とNPBへ教え子を送り込み、中学教諭時代には沖縄尚学で県勢初優勝した際の主将である比嘉寿光(元広島)を指導。育成の実績も申し分ない。

 沖縄水産には2016年春に異動。その年の秋から監督を務めている。赴任当初は、裁が率いて全国で躍動したかつての面影はどこにも無かった。部員数も新入生の入学前とはいえ2学年でたった20人。上原自身も「これが本当に沖水の選手か」と思ったのが正直なところだった。

 グラウンドは芝が伸び放題で、使われず錆が入っていた用具もあった。

 バックネット裏の部屋には、準優勝時の太鼓などもあるが、就任当初は埃が被っているような状態だった。

「打ちやすいように打ちなさい」

 取り組んだのは環境整備からだった。過去の栄光にすがるどころか、用具に錆が入り、埃を被ってさえいた状況を変えていった。同時にかつての名門ゆえの眠っていた財産も最大限に活用した。

 まずはメイングラウンドの改修だ。弱体化したチームはサブグラウンドでこじんまりと練習していたが、これで二面丸々どちらも試合ができるグラウンドを有する全国屈指の環境となった。

 また、経験豊富なOBをコーチに据えた。上原自身は沖縄水産のOBではないが、中学時代の教え子で'91年の甲子園準優勝時の主将、のちに社会人野球の沖縄電力でも活躍した屋良景太を招聘。さらに地元・糸満市出身の末吉朝勝、そして2人の推薦で沖縄電力でヘッドコーチまで務めた野原毅を呼び、それぞれ週末の練習に参加している。上原は「僕は全体を網羅するコーディネーターのようなもの。この3人の力は僕より大きいかもしれません」と笑う。

 指導の基本は「少年野球を教えるのと一緒。ああしなさい、こうしなさいと言うのではなく基本だけ教える。打ち方でも僕のやり方というのはなく、打ちやすいように打ちなさいと伝えます」と話す。

「チーム作りは学校や選手たちによって異なります」

 それゆえにタイプの異なる2校を甲子園に導き、投手・野手問わずにプロの世界にも飛躍させているのであろう。沖縄水産でも徐々にその芽は出つつある。

沖縄に残ってもらえる環境づくりを。

 上原の指導者としての実績・人脈によって再び沖縄本島や離島の各地から選手が集まる「オール沖縄」が形成されようとしている。

 上原監督が投手の二枚看板として期待する2人は、ともに中学時代は所属していた中学校の野球部が強くはなかったものの、130キロ台中盤のストレートを投じる十二分な実力を持っていた。左腕の古波藏(こはぐら)悠悟は離島の久米島から入学し寮生活、右腕の石川愛斗(まなと)は学校から約30km離れた浦添市から入学し父の車で通学と、わざわざ「高いレベルで野球をやりたい」と沖縄水産にやってきた。

 沖縄県内の中学球児は現在、毎年70人ほどが県外の高校へ“流出”しているとされるが、この言い方にも上原は異を唱える。

「“取られた”“引き抜かれた”じゃないんです。残ってもらえるような環境にしないと。この4年で野球をする環境はもちろん、学校の偏差値も上がって進学する選手も多数になった。そこを頑張らないで“取られた”と言ってはダメだと思うんです」

 取材中は終始控えめだったが、このことについては上原の自負がうかがえた。

22年ぶりの扉は開くのか。

 秋は興南に勝った次の嘉手納戦に0−1で敗れ、センバツ出場への道が事実上、閉ざされた。ただ、上原が「この新チームは(今年の)夏までのチームより、もともとの能力で劣る分、素直で向上心も高い。自覚のある選手が多いチーム」と話すだけに、腕の見せどころでもある。来夏に向けて話を振ると「手品のタネみたいな引き出しがいくつかあるので、それをもとに夏はね」とニヤリと笑った。

 甲子園に出場したのは新垣渚(元ダイエー、ソフトバンク、ヤクルト)を擁した1998年夏が最後。20年間以上も閉ざされ続けた扉は、2020年の夏に開くのか。上原と、そのもとに集った選手たちによる古豪復活への挑戦に大きな期待が寄せられている。

文=高木遊

photograph by Yu Takagi


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