2011年3月11日、その日、佐藤琢磨はヨーロッパからアメリカに向かう飛行機の中にいた。F1からインディカー・シリーズに転向して2年目。3月27日の開幕戦に向け、プレシーズンテストに臨むためだった。

「シカゴの空港に着いて、日本の情報がいろいろ入ってきて、メッセージもたくさんもらいました。もう、言葉にならないほどショックで、海外にいる自分が何もできないことの無力感、自分に何かできることはないかと必死になって探している焦燥感、そして、自分はこのままレースに出ていいのだろうかという疑問に次々と襲われました」

 多くのアスリートが、あの日、同じような気持ちを抱いた。当時、ミルウォーキー・ブルワーズに所属していた齋藤隆は、キャンプ地で故郷の仙台が被災したことを知ると、居ても立ってもいられないなってようやく電話がつながった兄に「帰国したい」と思いを告げたが、「お前が帰ってきても、何もできない。それよりも、今の自分にできることを一生懸命やってほしい」と諭された。

「その気持ち、よくわかります。僕たちアスリートは、日頃、多くの人の応援やサポートを受けながら、スポーツ活動を続けています。だから、こんなときだからこそ、その方々に恩返しがしたいと思うんです。『スポーツなんて、やっている場合じゃない。とにかく役立つことをしなければ』って。でも、そのうち気づくんです。自分にできることは、スポーツを通して、復興を支援することだと。それは、自分たちにしかできないことなんです」

「こわい、できない」と言っていた女の子が。

 さっそく、佐藤は「With you Japan」という復興支援プロジェクトを立ち上げ、インディカー・シリーズに参戦する他のチームのドライバーやクルーたちと義援金を募ったり、アメリカの小学校を訪問し、日本の子どもたちへの応援メッセージを書いてもらったりした。翌年2月には気仙沼の小学校で「佐藤琢磨と元気に遊ぼう! In 気仙沼」と題し、運動不足になりがちな被災地の子どもたちに思いっきり体を動かしてもらった。

 2014年、プロ・レーシング・ドライバーならではのプロジェクトとして、被災地の子どもたちに新しい試みにチャレンジする面白さを伝えようと、「グリコ×With you Japan TAKUMA KIDS KART CHALLENGE」を立ち上げた。宮城県のスポーツランドSUGOと、この年、大規模な土砂災害に見舞われた広島県のスポーツランドTAMADAに地元の小中学生約270人を招き、レンタルカートでサーキットを疾走する楽しさを味わってもらった。

「8歳の女の子のことをよく覚えています。カートを見たことも乗ったこともない子が、最初は1人でカートを走らせるのを怖がって、『できない』って言っていたんですね。でも、ストップ・アンド・ゴーを繰り返して少しずつ運転することに慣れ、パイロンを立てたUターン、そしてサーキットでの先導走行から、最後には1人で1周のタイムトライアルを行い、チェッカーフラッグを受けたときの女の子の満面の笑み。当初は自分にはできないと思っていた子が、挑戦する中で、最後は目標を達成する喜びを全身で感じたんです」

インディで佐藤があげた雄叫び。

 その女の子が感じた喜びと、佐藤が今も追い求めているものの原点は同じだ。3年前の5月、伝統のインディ500マイルで、日本人として初めてチェッカーフラッグを受けたとき、全身から出た雄叫びは、まるでこの世に生を享けた赤ん坊がお母さんのお腹の中から出てきた瞬間、あらん限りの力を振り絞って泣くようだったと言う。

「チェッカーを受けて、無線のスイッチを入れて、チームクルーに『Thank you!』って伝えようとしたんですが、まったく言葉が出てこない。ただ、叫ぶだけで。喜びの感情が爆発すると、人間ってああなるんですね。ようやく感謝の言葉を伝えられたのは、1コーナーを過ぎてからでした」

全国の子どもにモータースポーツを。

「グリコ×With you Japan TAKUMA KIDS KART CHALLENGE」は2017年から、被災地の子どもだけでなく、全国の子どもたちも参加することができるようになった。2019年は北海道から沖縄まで全国24カ所のサーキットで、1373人の小学生がレンタルカートで延べ5366回のタイムアタックを行い、各サーキットの上位者、計100人が11月に鈴鹿サーキットに集まり、2日間にわたって、佐藤から直接、カートの運転法、サーキットの走り方を教わった。2日目には、各自の能力に応じてクラス分けされ、レースが行われ、成績上位10人が12月の「アカデミー」へと進んだ。

「当初は復興地の子どもたちを対象にしたり、被災地と関東の子どもたちの交流をモータースポーツを通じて促していたりしていましたが、しだいに地域に関係なく全国の小学生にモータースポーツの楽しさを味わってほしいと思うようになって、現在の形にしたんです」

 そこには、佐藤ならではの思いも込められている。10歳のときに、鈴鹿の日本グランプリでアイルトン・セナの走りを見て、将来はF1ドライバーになりたいと夢を抱きながら、19歳までレーシングカートに乗ることができなかった自身の人生を顧み、カートは未経験でも才能のある子を発掘し、プロへのきっかけづくりをしたいと思ったのだ。だからトップ10人が集う「アカデミー」では、「ここからは『遊び』ではなく、『コンペティション』の世界だ」と厳しさを伝えた。

ドライバーに必要な感謝と求心力。

「モータースポーツはスポンサーのご支援があって、エンジニア、メカニックと協力しながら、速いマシンに仕上げ、それをドライバーが全力で競うスポーツです。誰一人、どのパーツが欠けても成立しません。そのために、プロのドライバーは強い求心力を持ってチームの中心にいなければいけません。その道を歩もうとするには、コース上はもちろん、サーキットにいる間は1秒たりとも疎かにできないのです。『アカデミー』でもグリコさんというスポンサーがついて下さって、プロのメカニックたちが子どもたちのレーシングカートを整備してくれています。その人たちへの挨拶、感謝の気持ちを忘れてはいけません」

 佐藤が目をみはったのは、最後のレースで優勝した子ども以外、全員が悔し涙をながしていたこと。それだけ、子どもたちが真剣に取り組んだという証だ。そして、悔しさを知る貴重な経験も得た。「悔しさは成長の原動力」。多くのアスリートがその重要性を口にする。

 もちろん佐藤自身、今も、たくさんの悔しさを味わい続けている。喜びより悔しさのほうが多い。最後にこんな質問を佐藤に投げかけた。

――この1月で43歳になります。シリーズを戦う現役ドライバーでは上から2番目です。「引退」という言葉が脳裏をよぎることはありませんか。

「まったくありません。今は年間チャンピオンになることを最終目標に掲げて、挑戦するだけです。チャンピオンを獲ったら? うーん、どうだろう、わからないです。そのときにどんな気持ちになっているか、ですね。ただ、これだけは言えます。毎年、毎年、レーシングドライバーとしてスキルアップしているのを実感しているんです。あー、また巧くなったと(笑)。まだまだ伸びしろがあるということでしょうか」

 インディカー・シリーズに参戦して10年目の2019年は、シーズン2勝を挙げ、ストリート、スピードウェイ、ロードコース、オーバルとすべてのコースバリエーションで優勝したドライバーとなった。佐藤琢磨の2020年の挑戦がもうすぐ始まる。

文=稲川正和

photograph by SPORTS BIZ