この連休で、また北九州市の成人式の様子がメディアを賑わせただろうか。かの有名なヤンキー趣味のド派手衣装で新成人が騒ぐ。ここぞとばかりにカメラがこれを追う。

 ちなみに同市出身の筆者に言わせると、この風景はいい話、という側面も多い。彼らの多くはこの日のためにお金を貯め、少しばかり注目を集め、翌日から仕事や学校という日常にスパッと戻るのだ。

 実は、今回の話の主の邦本宜裕もこの街の若松区出身だ。現在22歳。今年から“職場”が変わることになった。

 Kリーグの“1強”全北現代モータースだ。

 昨年、Jリーグから韓国にプレーの場を移し、スモールクラブ慶南FCで活躍。ステップアップを果たした。2月12日にはアジアチャンピオンズリーグで横浜F・マリノスと対戦する。

 10代の頃には、誰もが羨む才能を持ちながら、2014年に浦和レッズユースを未成年の喫煙で、さらに2017年にアビスパ福岡も契約条項違反で追われたことがある。

 本人は北九州での中学校時代、「周りに流されるタイプだったので、少々悪いこともしたりした」という。

度重なる問題でJリーグを去った男。

 早くから才能を知られた。高校進学時にはあまたのオファーがあり、「どこでも選べた」。青森山田高も有力な候補だったという。

 結果として選んだのは浦和レッズユース。16歳にしてトップチームの試合(天皇杯)に出場、ゴールも記録するなど、順風満帆にも見えた。

 しかしその裏ではやさぐれた感情を持ってしまった。昨年4月、慶南の一員としてACL鹿島アントラーズ戦を戦った際に自ら「過去に挫折した」と認め、こんな話をしていた。

「自分は高校生の時にプロになったわけですが、年齢の近い人たちが楽しそうに見えたんです。もちろん、サッカーをやっている時は楽しいんですけど。でも同世代の人たちはそれ以外にも楽しそうなところがあって、レッズを辞めてしまいました。どこかで高校でサッカーを3年間やりたかったな、という思いがあったんです。強い高校で3年間、選手権を目指したりしたかったな、と」

 気持ちの上でサッカーへの優先順位が下がってしまい、不祥事を起こした。2014年9月にチームを去ることとなった。

 ただし、一度の失態ならまだ周辺の大人がフォローしてくれた。2015年1月にアビスパ福岡に入団。しかしここでも秩序を乱す行動を起こす。契約解除。2017年5月、19歳にして行き場を失った。

韓国最強クラブへの移籍を果たす。

 そんな邦本の今回の移籍は、日本人Kリーガーの軌跡としては、2013年にFCソウルでACL準優勝を果たしたエスクデロ競飛王(現栃木SC)と並ぶインパクトだ。

 それほどに、Kリーグで全北に請われたということは大いなる栄誉だ。

 リーグ戦で3連覇中。ここ10年を見渡してもすべて3位以上で、優勝回数はじつに7度にもなる。またACLにもここ10年で8度出場、優勝、準優勝がそれぞれ1回ずつで、グループリーグ敗退も一度しかない。HYUNDAI自動車のバックアップを受け、「もはやKリーグからアジア制覇の可能性があるのは全北しかない」と言われるほどだ。

「甘えられない状況に身を置いた」

 邦本は福岡退団後の2018年1月にブランクを経て慶南にテスト入団。Kリーグ1部に昇格したばかりのチームの2位への躍進を支えた。2年のプレーを経ての今回の移籍について、韓国メディア「ハンギョレ新聞」はこんな評価を下している。

“ピッチのやり手、全北現代へ”

 キラーパスの出し手、という表現もあった。クラブ側はプレスリリースでこんな期待を表している。

「キム・ボギョンとともに最強の攻撃的MFを構成する。クラブの伝統カラーである攻撃サッカーにプラス効果を与える存在」

 キム・ボギョンとは、昨季柏レイソルからレンタルで蔚山現代に移籍、シーズンMVPを獲得したMFだ。それと肩を並べる存在、として紹介されたのだ。

 ちなみに本人は東京五輪世代でもあるが、昨年4月の時点では「日本代表はすべてのサッカー選手の目標。でも今は、頑張っている姿をまずは見てもらうことから」と口にしていた。

 ではなぜ、邦本が韓国で再生を果たせたのか。本人は昨年4月の鹿島とのACLの試合時に「家族の支え」と合わせ、次の要素を挙げた。

「甘えられない状況に身を置いたことが、よかったんです」

邦本を支えた「ヤンキー先生」。

 慶南にテスト入団後、通訳なしでの暮らしが始まった。「ひとりでコンビニに水すら買いに行けない。銀行に行っても韓国語で話しかけられ、自分のお金すらおろせなかったんです」

 そこで、気づいた。

「韓国に行くと、言葉も通じない。そういう状況に身を置いて、自分が自分をアピールできるのはサッカーしかない。そうやって周りから信用されていこうという考えを持つようになったわけです」

 もうひとつ、邦本を支えたのが「ヤンキー先生」とも言える存在だ。

 昨季まで慶南の監督を務めたキム・ジョンブ監督。邦本にテスト機会を与え、重用した。

「チームのフィジカルコーチとも話をしたんですが、邦本の潜在能力はとても高いという。だからこそ、本人には“夢をもって将来のために頑張ろう”と声をかけてきましたよ。関心を払い、接してきました」

監督からもらった、一通の手紙。

 キム本人も“キズ”を抱えていた。

 若き日にはストライカーとして名を馳せ、'83年メキシコワールドユースのベスト4からA代表に生き残り、'86年メキシコワールドカップにも出場した実績を持つ。しかし後年は、所属クラブ二重契約問題のトラブルを起こし、選手生活の終盤にはDFへの転身も余儀なくされた。

 2017年に当時2部だった慶南の監督に就任するまで、プロのステージでの役割すら与えられてこなかったほどだ。自身の慶南監督としての躍進も韓国メディアでは「復活」と描かれた。

 そのキムに迎えられた邦本は、一昨年の8月まではまだまだ、“昔の悪い顔”を覗かせることがあった。シーズン中のあるゲームでの活躍までは、韓国では自分がまったく馴染めていないと思っていた。

「なかなか自分のプレーが上がっていかない時期がありました。('18年8月の)全北戦の決勝ゴールまでは、練習でもイライラするところがあった。自分のプレーが出せない苛立ちを表に出してしまっていたんです。本当に駄目なことなんですが」

 邦本はその試合の前にキムから手紙を受け取っていた。その内容をよく覚えているという。

“イラつくのも分かるけど、必死に頑張っているところを見ているから。チームメイトもおまえを信頼し始めている”

「慶南FCにほんとに感謝しています」

 昨年のACL鹿島戦の前日、キムのほうに事実確認を行った。確かに手紙を手渡したという。

「日本語の手紙でしたよ」

 え? 監督、日本語が分かるんですか? と思わず聞き返してしまった。

「どうやったかって? 言いたいことを韓国語で書き、ネットで翻訳して、プリントアウトしたんですよ! 文法やスペルはめちゃくちゃだったかもしれません。でも言いたいことは伝わったと思うんですよね」

 やさぐれていた邦本の気持ちを変えたのは、同じく過去に傷を負った監督による、「しつこいぐらいの関わり」だった。つまり、愛だ。

 しかし両者の蜜月は2年で幕を閉じた。キム率いるスモールクラブはクラブ史上初のACL出場に備え、ターンオーバー制を敷けるほどの補強を行った。ところが身の丈に合わない補強は実を結ばなかった。序盤に力を注いだACLでグループリーグ敗退。するとリーグ戦でも最後までエンジンがかからなかった。

 慶南はレギュラーシーズン後のプレーオフの結果、2020年シーズンからの2部降格が決定したのだ。キムは「全ては自分の責任」とクラブを去り、そして邦本はビッグクラブへの躍進を果たした。

「僕を2年間育ててくれた慶南FCにはほんとに感謝しています」

 SNS上でこうコメントを発した。月並みな言葉だが、本心だろう。

 邦本はこのハチャメチャながら熱い手紙を、今も自宅に保管してあるという。

文=吉崎エイジーニョ

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