伊藤力さんは2015年4月に勤務先の工場で事故に遭い、利き手である右腕を失った。

 右腕を切断した後、パラテコンドーを始めた伊藤さんは、わずか数年で日本のトップクラスにまで登りつめる。いざパラリンピックイヤーを迎え、伊藤さんはどんな夢を思い描いているのか。松岡さんがその胸のうちに迫った。

松岡「いよいよパラリンピックが近づいてきましたが、日本代表はいつ、どのようにして決まるんですか」

伊藤「一応、開催国枠があって、男子は−61kg級と−75kg級でそれぞれ日本代表が決まるんですけど、その選考会が1月26日に行われます。女子は枠が1つしかないんですけど、選手が1人しかいないのでそこは確定しています」

松岡「ライバルとなる選手はいるんですか」

伊藤「多分、3、4人で争うことになると思うんですけど、内2人は僕より若いし力も強いので、やってみないとわかりませんね。ただ、絶対とは言わないですけど、勝てるイメージは持ってます。これまで道を作ってきたのに、僕が出られないってサイアクじゃないですか。大会の解説者枠には回りたくないので(笑)」

松岡「神様にもお祈りしたい気分ですか。今は」

伊藤「それはないかな。僕は自分がコントロールできないことに頼るのはやめているので。神様も信頼していないというか、頼むのはいつだって自分です」

「(人生は)冒険的ではありますね」

松岡「力さんって急に真顔になるときがありますね。自分では気がつかないかもしれないけど、すごく伝えたいメッセージがあるときに表情が変わるんです。

 これまで時系列順に話を聞かせていただきましたけど、力さんは、障がいを負ってからの人生をどう捉えてますか」

伊藤「そうだな、冒険的ではありますね」

松岡「その冒険はいつまで続くんでしょう」

伊藤「2020年で終わりにしましょうか(笑)。冗談ではなく、パラテコンドーは終わりにして、違うことをやってみたい気持ちもあるんです。今、練習でボルダリングをやっているんですけど、パラクライミングがあるので、そっちをやってみるのも面白いかなって」

「パラ競技にはすごくチャンスが転がっている」

松岡「僕は良いと思いますよ。パラアスリートにも色んな考えの方がいて、その競技だけをずっと突き詰める方もいれば、競技を変更する選手だっている。力さんみたいに短期間で変わっていくのは相当レアだと思うけど、新しい挑戦ができるのも素晴らしいことだと思います」

伊藤「パラ競技にはすごくチャンスが転がっている気がするんですね。例えば、テニスはシングルスとダブルス、健常者の大会はその2つだけだけど、パラだと立位と車いす、ブラインドもあるし、日本一になれるチャンスがたくさんある。僕はその中でこの4年間はパラテコンドーを必死で頑張ると決めた。大会が終わってまた続けようと思うか、それとも違う競技に移ろうと思うのか、自分でも楽しみです」

松岡「単なる楽観主義ではないんですね。力さん的には、自身の考え方を何主義と呼びたいですか」

伊藤「何だろう。でも、僕はどちらかというと現実主義ですよ」

松岡「(ずっこける仕草をして)いやいや、ここにいる人みんなが『それは違う』って言いますよ。テコンドーの次はクライミング。しかもまたやったことのない競技でしょ。クライミングだってもう先駆者がいっぱいいると思いますよ」

伊藤「日本はブラインドは強いんですけど、それ以外はわりと層が薄いんですよ。そもそも片手でクライミングをやろうなんて思わないし、そういうところに風穴を開けるのも面白いかなって(笑)。テコンドーの技術を生かして空手をやっても面白いし、最終的には50くらいになってパラゴルフをしてみたい。多分、片手で振るだけなので、そんなに難しくないと思うんです」

「褒められたときに力さんは謙遜しないでしょ」

松岡「なんかもう、パラリンピック人生をむちゃくちゃ謳歌してますね」

伊藤「ただやってみたい気持ちが強いんです。いつだって何か新しいことに挑戦したい。そんな気持ちで日々過ごしてますね」

松岡「いや、初めてだな、力さんのような個性あふれた人に出会ったのは。でも考えてみたら、競技人口の少ないところにパッと行けるのも1つの力ですよね。それは単純にすごいことだと思う。

 だからこそ、めちゃくちゃ頑張って欲しいんです。力さんが結果を出すことで、すごく可能性が広がっていくと思うから」

伊藤「そうですね」

松岡「それもすごいんですよ。褒められたときに力さんは謙遜しないでしょ。今日はそれが一度もないから、それもすごいなと思って(笑)。メンタルが折れそうなときもコンニャクのようにその壁をすり抜けていく。普通だったら、一番最初に岡本(依子/テコンドー界のレジェンド選手)さんに会えなかった時点でやめてますよ」

伊藤「ハハハ」

「最終的には自分を肯定したいんだと思います」

松岡「最後に2020年に向けての気持ちを聞かせてもらえますか。力さんは2020年で金メダルを獲ると宣言してます。それは目標なのか、夢なのか」

伊藤「何でしょうね。最終的には自分を肯定したいんだと思います。この4年間やってきた、その選択を肯定したい。やっぱりこんなんだから批判も多いんですよ。ステップをしないとか、練習のやり方だとか、それを間違っていなかったじゃないかと、ぜんぶ肯定してやろうと思って。僕のような30を超えた選手が1日5時間、6時間の練習を毎日やるのは無理ですからね」

松岡「根性論だけでは戦えないぞと。さっき、実験という話がありましたけど、たとえ結果がどうであれ、自分がやりたくてやってきていることだからどんな答えが出ても納得できる気がしますね」

伊藤「そうですね。責任はすべて自分にあるので。勝てなかったら練習が甘かったということだし、反省はすると思います。そこでまた4年後を目指したいと思ったら、きっとまた努力するでしょうし」

「落ち込む10日間と、吹っ切れた10日間と……」

松岡「今日お話を聞いて、まさかこんなストーリーだとは思ってもみなかったです。テコンドーと出会ってから、分厚い協会の支援を受けて、一気に日本代表に登りつめたというイメージだったから。マイナスの要素もすべてプラスに変えてきたのは力さん自身の行動力でしたね」

伊藤「ヘンな喩えですけど、腕がなくなるじゃないですか。それで落ち込む10日間と、吹っ切れた10日間と、同じ時間でもどっちが自分にプラスかと考えたら……」

松岡「ちょっと待って。それは僕がジュニアに指導していることと同じなんですよ。プレー中にミスをした。そこで悔しい顔をして、筋肉を硬直させていたら、次に良いプレーができないだろうって。だったら、自分がポイントを取ったと思え、勘違いしろ、と僕は言うんです。でも、腕を失うのと、ポイントを失うのとでは、意味合いがまったく違います」

伊藤「けど、そのポイントがグランドスラムの決勝で、ジョコビッチを相手にした最後の1ポイントだとしたらどうですか。このポイントを取ればグランドスラムを初制覇できる。そのポイントと腕だったら、重みはそんなに変わらないと思う。たとえ腕がもげたって初制覇したいと考えませんか」

松岡「なんか話が大きくなってきましたよ」

「障がい者スポーツも負けたら批判されて良い」

伊藤「ハハハ。僕はもう左腕で何でもできるから、右腕にそれほど執着はないんです。もう失った話なので、悩むことでもないですし」

松岡「なるほど、そういう考え方なんですね。

 日本の障がい者支援が遅れているという話も今日は伺いました。思いやりがある国民性のはずなのに、どう接すれば良いか分からないという人がまだまだたくさんいる。僕たちは障がい者の方たちにどんなスタンスで接していけば良いんでしょう」

伊藤「あくまで僕のイメージですけど、障がい者スポーツってまだ多少なりとも観客が見守るというか、障がい者が頑張って、それに温かな拍手を送るという感じがあるじゃないですか。

 そうではなくて、パラリンピックを僕は競技として見てもらいたい。

 サッカーや野球が国際大会で負けたら色々言われるように、障がい者スポーツも負けたら批判されて良いと思うんです。批判すべき所は批判するし、賞賛すべき所で拍手を送る。そんなスタンスで良いのかなと。

 障がい者との接し方については、正直僕はよくわかりません」

松岡「同じ目線で見て欲しいと言うことですね。確かに、やっていることはオリンピアンと同じですからね。むしろ、待遇的にはより厳しい環境で努力している。きっと今日の話は、一歩が踏み出せずに迷っている方に勇気を与えると思います。パラリンピックに必ず出て下さい。応援してます」

伊藤「頑張るので、ぜひまた松岡さんも会場に来て、声援を送って下さい。批判も賞賛も、僕は甘んじて受け入れるので(笑)」

(構成:小堀隆司)

伊藤力いとう・ちから

1985年10月21日、宮城県生まれ。パラテコンドー日本代表。クラスはK44、61kg未満級。2015年4月、職場での事故で右肘上部を切断。16年1月よりパラテコンドーを始める。同年4月アジアパラテコンドーオープン選手権大会に出場し初戦敗退。それをきっかけに練習環境を整えるために東京移住を決意。アスナビ(JOCが実施しているトップアスリートの就職支援ナビゲーションシステム)を活用し、セールスフォース・ドットコムに就職。同社に勤務しながら東京2020パラリンピックを目指している。'17年US オープンで金メダルを獲得、同年の世界選手権ではベスト8に。'18年、'19年全日本選手権2年連続優勝。

文=松岡修造

photograph by Nanae Suzuki