南海ホークスの本拠地、大阪球場は大阪、ミナミの繁華街のど真ん中にあった。ゲートを入ってすぐの駐車場にモスグリーンのリンカーンコンチネンタルが止まっていると「ノムさん、いてるな」と思ったものだ。

 私のような昭和世代にとって、野村克也は南海の大選手だった。ここでは「選手・野村克也」の「数字」に焦点を絞って、野村克也を評価したい。

3017試合出場、驚異的な持久力。

 野球のポジションで、最も運動量が多く消耗が激しいのは言うまでもなく投手だ。投げるイニングが短い救援投手であっても、出場試合数は1000試合が精いっぱいだ。

 野手では、捕手が最も激しい職だ。そもそも1回から9回まで投手の球を受けて返球するのだから。それに加えて打球の処理もするし、野手に守備位置の指示もする。二塁に送球して盗塁を阻止するのも捕手の役割だ。

 一方で処理する打球数で言えば、外野手が最も少ない。出場試合数は外野手、内野手、捕手の順になるのが自然に思える。実際、大リーグの歴代トップ5は以下の通り。()内は主なポジションである。

<MLBの通算出場試合数5傑>

1.ピート・ローズ 3562試合
(外野手、一塁手、二塁手)
2.カール・ヤストレムスキー 3308試合
(外野手、一塁手)
3.ハンク・アーロン 3298試合
(外野手、一塁手)
4.リッキー・ヘンダーソン 3081試合
(外野手)
5.タイ・カッブ 3034試合
(外野手)

 当然のごとく外野手の名前が並んでいる。しかしNPBではこうなっている。

<NPBの通算出場試合数5傑>

1.谷繁元信 3021試合(捕手)
2.野村克也 3017試合(捕手)
3.王貞治 2831試合(一塁手)
4.張本勲 2752試合(外野手)
5.衣笠祥雄 2677試合(三塁手、一塁手)

 MLBよりも試合数が少ないNPBで、3000試合出場した選手が2人もいることがまず驚きだが、その2人ともに捕手である。谷繁は野村克也の出場試合記録を抜くことを目標に現役を続けてきた。野村の存在がなければ、この数字はあり得なかったはずだ。

日米の捕手出場数を比較してみる。

<MLBの捕手出場試合数5傑>

1.イヴァン・ロドリゲス 2427試合
2.カールトン・フィスク 2226試合
3.ボブ・ブーン 2225試合
4.ゲイリー・カーター 2056試合
5.ジェイソン・ケンドール 2025試合

 2000試合出場した捕手はこの5人だけ。今季、カーディナルスのヤディア・モリ―ナ(現時点で1947試合)が6人目になるかもしれない。

<NPBの捕手出場試合数5傑>

1.谷繁元信 2963試合
2.野村克也 2921試合
3.伊東勤 2327試合
4.木俣達彦 1998試合
5.古田敦也 1959試合

 2000試合以上は3人だけ。その中でも谷繁と野村が傑出しているのがわかる。谷繁は捕手以外では一塁手で1試合出場しただけ。野村も一塁を6試合、外野を3試合守っただけで、あとはすべて捕手だった。

 スタメン出場に限定すれば、野村は2838試合、谷繁は2665試合。野村の方が上に来る。

 この2人の「持久力」は驚異的だが、1つ注釈をつけるとすればこの2人はともにプレイングマネージャーだった時期がある(古田もだが)。「キャッチャー俺!」という起用が可能だったことは言っておくべきだろう。

王に次ぐ長距離砲としての金字塔。

 試合数ではわずかに谷繁に届かない野村だが、その出場試合にバットで残した記録に限定すれば、その差は明らかだ。

 野村克也
 2901安打 657本塁打 1988打点 打率.277

 谷繁元信
 2108安打 229本塁打 1040打点 打率.240

 そして野村は捕手という枠を取り払っても、屈指の強打者だった。強打者の全盛期10シーズンに限定した打撃成績を本塁打数順に並べてみよう。

1 王貞治 493本塁打
1304試 4262打 1380安 1143点 率.324
2 野村克也 393本塁打
1357試 4917打 1447安 1069点 率.294

3 山本浩二 374本塁打
1289試 4575打 1418安 996点 率.310
4 落合博満 371本塁打
1265試 4408打 1438安 1034点 率.326
5 田淵幸一 361本塁打
1179試 4015打 1085安 831点 率.270
6 T.ローズ 360本塁打
1316試 5016打 1428安 993点 率.285
7 門田博光 352本塁打
1212試 4189打 1242安 937点 率.297
8 大杉勝男 346本塁打
1286試 4751打 1420安 982点 率.299
8 A.カブレラ 346本塁打
1142試 4170打 1292安 911点 率.310
10 A.ラミレス 336本塁打
1414試 5625打 1717安 1109点 率.305

 王の記録が飛びぬけているが、野村はそれに次いでいる。三冠王3度の落合や、この度殿堂入りした田淵など、並み居る長距離打者を抑えている。

 全盛期の10シーズンで、平均してほぼ40本を打つというのは驚異的なことである。8年連続本塁打王、通算9回の本塁打王は、13年連続本塁打王、通算15回の王貞治に並ぶ金字塔だといえよう。

 何度も言うが、野村はこの数字を捕手の重責を担いながら、そして1970年からは監督を務めながらたたき出したのだ。

意外と俊足、トリプルスチールも!

 昭和の時代、南海ホークスの試合はたまにNHKがやるくらいで、めったにテレビで見ることはなかった。だからオールスター戦の中継で全パの4番として野村が出ているときは、都会で出世した倅を見守るような心持ちで見ていたものだ。

 ブラウン管を通して見る野村克也の第一印象は「足が短い」というものだった。王貞治、長嶋茂雄などセのスターに比べても短足でもっさりしていた。ゴロを打つとその短い足を互い違いに動かして、一生懸命走っていた。およそ「俊足」とは縁がないように見えたが、実は野村は盗塁が得意だった。

 以下、捕手として1000試合以上出場した選手の通算盗塁数5傑。()は捕手出場試合数。

1.伊東勤 134盗塁(2379試合)
2.野村克也 117盗塁(2921試合)
3.土井垣武 87盗塁(1170試合)
4.加藤俊夫 73盗塁(1349試合)
5.城島健司 72盗塁(1245試合)

 試合数が多いことは考慮すべきだが、野村は史上2位の117盗塁。1967、70、71年には2けた盗塁を記録している。

 2019年、阪神の梅野隆太郎が捕手として10年ぶりに2けた盗塁を記録して話題になったが、野村は「走る捕手」だったのだ。

 野村で特筆すべきは117盗塁のうち、ホームスチールが7つもあることだ。その多くは、野村が三塁で、一塁または二塁に走者がいるケース。ここで三塁からサインを送って他の走者を走らせて、そのすきに本塁を陥れた。

“鈍足”のイメージのある野村は、そのイメージを逆手にとって大胆な走塁をしたのだ。

 なお1972年には5月18日の阪急戦、9月20日の西鉄戦でシーズン2度のトリプルスチールを記録している。

勝利のマーケティングを実践。

 こうした野村の姿勢からうかがえるのは「白星につながることなら何でもする」という貪欲さだ。

 投手と捕手が共同して盗塁を防ぐクイックモーションは、野村克也が編み出したとされる。これには異論があるようだが、配球や守備位置など、小さなことでも「勝ちにつながる」ことならなんでもやってみたのだ。

 野村は野球とは「勝つためのあらゆる努力だ」と思っていたのだろう。筆者はサラリーマン時代、マーケティング部門の上司から「マーケティングとは売るためのすべての努力だ」と教えられたが、野村はまさに「勝利のマーケティング」を実践していたのだろう。

 後年、野村の著書を企業経営者が高く評価したのは、企業運営に通じる「マーケティング精神」があったからだと思う。

「スイングは本当にすごい」との声も。

 ただ、筆者にはそうした「経営の師」みたいになった野村克也には、そこまで興味はない。

 解説者になって「ノムラスコープ」で新境地を開いたといわれたが、新聞に「男の股間をピコピコさせるとは何事か!」という投書が載ったのが面白いと思ったくらいで、理屈っぽい解説は個人的には合わなかった。

 引退してから40年もたっているから、野村克也の「選手としての凄さ、偉大さ」は、すっかり霞の向こうにぼやけてしまっている。しかし子供のころからのファンとしては、その部分を強調したい。

 野村の教え子の柏原純一は「監督のバットスイングは本当にすごい。ブンッとものすごい音がした」と言っていた。そういうエピソードをもっと聞きたい。

 私にとっての野村克也は、人来ぬ大阪球場で、狙いすましたホームランを放っていた「職人」なのだ。

文=広尾晃

photograph by Katsuro Okazawa/AFLO