我々が目指すべきなのは世界最高峰の舞台。アカデミー賞でアジア初の快挙が報じられているのを見て、日本人としてそんな想いに駆られた。

 国内で研鑽を積みながら、その先にあるものを目指す。業界のトップを目指しているものなら、誰もが考えることであろう。アスリートも然りである。

 ゴルフ、テニス、サッカー、バスケットボール。近年の日本のスポーツ界は若いうちから世界の舞台へ飛び込むことが当たり前になっている。

 だが、必ずしも日本すべての業界が、その思考に傾いているわけではない。世界の舞台への挑戦は時代の趨勢だが、若い世代の挑戦については、やれ「空洞化」、「国内軽視」などと批判される。

 長い歴史を誇る野球界には、少なからずそんな空気がある。

踊った「高卒メジャー」という報道。

「メジャーリーグを目指したいとは言ったみたいなんですけど、日本で活躍してからという意味だったつもりが、ネットにはそんな記事が出ちゃったみたいですね」

 昨秋、天理高の1年生投手・達孝太(たつ・こうた)が神宮大会の試合後の囲み取材で「メジャーリーグの夢を語った」そうだ。

 その場に居合わせなかったので、どのようなシチュエーションで語られたのかは分からないが、ネットで拡散された記事には「高卒メジャー志望」の見出しがついたものがあり、天理内でちょっと話題になったと言う。

 ネット記事を見たときは、大胆な発言に思えた一方、堂々と夢を語る高校球児の登場に、好印象を抱いたのもまた事実である。

 その真意を問うべく、中村良二監督に聞いたところ返答として受けたのが冒頭のコメントだった。

 見出しが見出しだっただけに、チームを指揮する中村監督としてもそう弁解をせざるを得ないのだろう。なお、昨秋の報道以後、メジャーのスカウトから視察の連絡がいくつか入ったそうである。

目標はマックス・シャーザー。

 喜ばしい話ではないか。

 本人にもインタビューしてみたが、彼の夢はかなり高いところにあると感じたものだ。

 達は高校球児には珍しく、海外を含めてかなりの情報を日常的に吸収しているようだった。

「目標とする選手はマックス・シャーザー(ナショナルズ)ですね。あの力感から、メジャー全体では2番目の回転数のボールを投げている。自分もああいうピッチングができる投手になりたいです」

「球速」を語る高校球児は数多いるが、「回転数」を口にするとは正直に驚いた。メジャーでは、いや最近の日本でも、空振りを取るためには「回転数」や「回転軸」が一大テーマになっている。それが、達の頭の中にもすでにインプットされている。

「甲子園に出たからといって……」

 達の知識はこれだけではない。球速についても尋ねると、独自の見解を披露した。

「150キロまでは出せたらなって思いますけど、それ以上はあんまり意識していないですね。スピードが出過ぎると故障のリスクもあるって聞いたんで、150キロくらいで止めようかなと」

 若い時期に速いボールを投げることの故障リスクは、たしかに様々なところで語られるようになった。とはいえ、高校1年生にしてしっかりと知識を得ていることにはただ感心せざるを得ない。

 達はただの憧れで夢を語っているのではなく、現実を直視して世界を見据えているのだろう。それは彼が現時点で、投手としてどのようなレベルであるかとは関係ない。

 一方、高校球児にとっての夢舞台である「甲子園」についても聞いてみた。

 ただ、これは伝え方が難しい。

「実は、甲子園にはそこまで興味がないんです。高校で甲子園に出たからといって、特別なことがあるものでもないし、最終的にメジャーリーガーになれたらなという感じなんです。甲子園に出るといろんなチームと対戦できるので、出場できるのはいいんですけど、甲子園にこだわっているわけではないんです」

 最初のコメントを控えさせていただいたのは、影響を考慮してのことだ。ややもすると、達を「異端児」として取り上げようとするメディアも出てくるだろう。

甲子園は成長するための場所である。

 もっとも、達は甲子園を軽視しているわけではない。すでに出場切符を得ているこの春のセンバツに向けての意気込みを聞くと、夢舞台に心を踊らせる純真無垢な高校生の顔になった。

「甲子園という舞台は、いつもよりたくさんの人が見ているわけで、その中でいかに、自分が落ち着いていつも以上のピッチングができるかが大事だと思います」

 甲子園には高校野球トップクラスの選手が集まり、全国的な注目が集まる。自分の力量が現時点でどのレベルにあるかを測る絶好の機会と捉えている。達にとって“上”のレベルを知るための舞台なのだ。

 メジャーリーガーを目指す中に「甲子園」が存在する。高校の時点で長期的な将来像を語る選手は多くないため、達の存在が少し特別に見えてしまう可能性はある。だがそれは、野球界には夢を語りにくい空気があるからなのかもしれない。

菊池雄星が受けた、世間の反発。

 過去を振り返っても、高校生のトップ選手がメジャーを口にした途端、歓迎されるよりも、非難を受けることは多かった。鮮明に記憶に残っているのは、花巻東高校時代、ドラフト直前に日米20球団と面談した菊池雄星(マリナーズ)のケースだろう。

 2009年に春・夏の甲子園を沸かせた菊池は「時の人」となったが、メジャーの夢を語った途端、逆風にさらされた。

 花巻東の佐々木洋監督が、かつてこんな話をしていた。

「僕は雄星に好きな進路を選べと言っていました。俺は叩かれても構わない。行きたいところに行きなさい。後押しするからと。人と違うことをやってもらいたいし、人と違う道を行ってもらいたいという話をしたこともありましたから。新しい時代は必ず来る。やるなら扉は先に開け、と。

 しかし実際は、僕が思っていたより、その扉は重かった。ちょっとでも、扉を開けた瞬間にすごい勢いで風が入ってきました。雄星も叩かれましたけど、学校には手紙がバンバン来ましたし、ファックスも入りました。『勘違いしているんじゃない』と」

佐々木監督が今も感じている後悔。

 結局、菊池はその扉を開くことを断念して、日本で9年の研鑽を積んでから、2019年にようやくアメリカへ渡った。この件で重大なのは、主役である本人の意志が尊重されなかったことだ。

 佐々木はこう悔いている。

「最後は僕がビビったんです。雄星に『やっぱりアメリカ行きはやめてくれ』と言うことはありませんでしたが、日本残留を決めた記者会見で雄星が涙を見せたときに、俺、子供の夢を取ったと思いました。あのときにアメリカに行っていたら成功したとか、失敗したという話ではないんです。本人の夢を教育者として背中を押しきれなかった自分が情けなかったです」

 もっとも当の菊池は、当時の決断に後悔はないという。日本での9年間において、紆余曲折がありながらも、最後には成長を実感したからだろう。ただ、当事者としてあの時の騒動には、こんな本音も吐露している。

 それは、今後の日本球界への願いでもある。

雄星が感じた「ふざけんなよ」という圧力。

「大谷(翔平)がそうでしたけど、甲子園で活躍するような選手がメジャーに直接行きたいと夢を語る時はいずれやってくると思います。ただ、そう言う選手が出てきた時に、高校生が夢を語れて、それを周囲が応援できる野球界になって欲しいなと思います。

 僕の時は正直『ふざけんなよ』という圧力のようなものを感じたし、『高校生ごときが何をいってんだ』という視線もありました。でも、普通に考えて、世界の舞台に出ていきたい人に対して、批判的な見方をする業界はほとんどないじゃないですか。

 メジャーが優れていて、日本の野球が劣っていると言う話ではなく、その選手が今すぐメジャーで成功できる、できないという話でもなくて、高校生が夢を語れる。野球界がそう言う環境になってほしいです」

高校生がメジャーを目指すのは自然なことだ。

 達孝太が所属する天理高は、生徒の夢に圧力をかけるような校風ではない。

 達が夢を語ることも、そのための行動も制限したりはしないだろう。ただ世間の雰囲気が、いや業界の空気が萎縮効果を生むとしたら……。

 果たして、それは業界としてポジティブなことなのだろうか。

 野球の競技人口減が問題になっている今の時代に、閉鎖的な空気感を存続させることが得策なのかどうか。

 個人的に親交のある菊池雄星にメジャーを目指す高校1年生の存在を話すと、本人から返ってきたのは、やはり自身の“あの日”を振り返るのと同じ切実な思いだった。

「夢を語らせてあげて欲しいです」

 ボールの回転数を意識し、甲子園とその先を視野にいれ、故障リスクまで考えて理想の球速を語る球児がいる。

 野茂英雄が門戸を開き、イチローが世界を驚かせ、黒田博樹、ダルビッシュ有、岩隈久志、上原浩治、田中将大らが続き、大谷翔平がメジャーの常識さえ打ち破る二刀流ムーブメントを巻き起こした。

 全てはつながっているのだ。

 高校生がメジャーへの夢を語る。

 それは当たり前のことであり、見方を変えれば、野球界が発展してきた証ともいえるだろう。

 だから、誰も否定してはならない。絶対に。

文=氏原英明

photograph by Hideki Sugiyama