ここ数年、体育会系に対する社会の風当たりは強い。コロナウイルス問題で、五輪が中止・延期になるのかに注目が集まる中、すっかり忘れている人も多いかもしれないが、ここ数年、たしかに「体育会系」の不祥事はよく報道されていた。

 日大アメフト部の危険タックル問題、慶応大アメフト部の不適切な行為問題(風呂場の覗きだと報じられている)、さらにはスポーツ全体においても体操におけるパワハラ疑惑、ボクシング連盟やテコンドー協会の騒動など、あげだすときりがない。

 生徒も教員もともに追い詰められるブラック部活動問題や、小学校の運動会における危険な組体操問題も広義では体育会系問題だと言える。

体育会系は日本の縮図か。

「体育会」はよく「日本社会の縮図」だと言われる。ちょうど最近『体育会系 日本を蝕む病』(サンドラ・へフェリン 光文社新書)が発売された。日本を愛する日独ハーフの作家による渾身の一作である。日本社会がいかに「体育会系」的な価値観に毒されているかを、パワハラ・セクハラ、忖度など様々な側面から斬っている。

 今年で3歳になる娘を育てる身としてもなかなか衝撃を受けた本である。娘を日本の学校に入れたくなくなった。運動会に部活動、さらには茶髪証明書などなど、日本の学校は生き地獄ではないか。

 自分自身も、会社員をやめる38歳くらいまで、なぜ生きづらかったのか、理由がわかった気がする。上意下達的で、理不尽で、同調圧力に満ちた世界は苦手だった。学校やこれまで勤務していた企業の同世代が出世しており、社長、役員、部長などになり始めている。尊敬するような、よくやるなと思うような、複雑な心境になる。

 たったひとつ確かなことがあるとするのならば「君は器用だ」ということだろうか。私には無理だ。

就職活動での支持は根強い。

 さて、何か不祥事があるたびに叩かれる、何かとネガティブなたとえで使われる体育会系であるが、やや、ちゃぶ台をひっくり返すのだが、本当に皆、体育会系が嫌いなのだろうか? 

 コロナ騒動で混乱する就活戦線だが、一部の企業や人事担当者から根強い支持を集めるのが体育会系である。

 私は中堅・中小企業の経営者や人事担当者に対して、採用活動のノウハウについて講演をする機会がよくある。地方自治体や商工会議所から講演を依頼される際に、最も多いのがこのテーマだ。

 その場で私は受講生にこんなお願いをする。「皆さんの求める人物像を絵で描いてください」と。求める人物像を明らかにする「ペルソナ化」というワークである。イメージする人を絵で描いてもらい、「ABC大学経済学部に在籍」「サッカー部でミッドフィールダー」など、特徴を書いてもらい、グループ内で共有してもらうというものだ。

 ここでも体育会系は人気だ。しかし、参加者が書く絵はまったく異なっている。やっているスポーツ、体格、髪型、顔つきなどまるで違うのだが。

 体育会系や体育学部の学生に特化した就職情報会社なども存在する。株式会社アスリートプランニング、株式会社スポーツフィールドなどがそうだ。これらの学生に特化した就職サイトや、イベントを運営している。

「採用枠」という都市伝説も。

 都市伝説的に毎年、囁かれるのは大手企業の体育会系について「採用枠」が存在するという説である。これも、虚実が入り乱れているのが実態ではある。あくまで社会人スポーツの選手をリクルーティングするがゆえに結果的にそうなっている場合や、「枠」というわけではないが、結果として体育会系を毎年採用している企業などである。

 とはいえ、各種競技の早慶戦のパンフレットなどをみると、広告が多数掲載されており、その部活動からある企業に入り続けていることを確認することもできる。まあ、体育会系を採用しているのか、早慶の学生を採用しているのか、これも判断が分かれるところではある。

 このように、社会からは何かと叩かれる体育会系だが、とはいえ就活の場面では、評価する企業や人事担当者がいるということもまた事実である。ただ、体育会系なら何でもいいのかというとそうでもない。考えてみよう。

実際、体育会系は就活で有利なのか。

「体育会系は就活に有利なのか?」は毎年、就活シーズンになると盛り上がる鉄板ネタだ。

「最近の若者は打たれ弱い……」などとボヤく中高年の人事部長にとって体育会系は欲しい存在なのか。一方「頭まで筋肉で出来たバカ」と揶揄する声も毎年、聞かれるところだ。

 ここで確認しておきたいのは、そもそも体育会系というものはひとくくりに出来ないものであるということだ。しかも、「体育会系が欲しい」と言っている企業に限って、妄想上の体育会系を抱く。つまり、体育会系に対するイメージと実態がズレているということである。

 体育会出身者だとしても、現状のチームと指導者などの立場で接点を持ち続けていなければ現実は見えない。そう、OB・OGとして母校の試合の応援に駆けつけていても、彼ら彼女たちの現実は見えないのである。

科学的な体育会系が増えてきている。

 体育会系は、科学的になってきている。気合と根性だけの世界ではなくなってきている。いや、より具体的に言うならば、「科学的」であり「根性論」ではない体育会系に部活動も出現しており、それらのチームが一定の成果をあげているというのが正しい。

 Numberなどを熱心に読んでいる読者ならわかると思うが、大学の体育会はもはや必ずしもど根性集団ではない。トレーニングは科学的で、身体能力を高めるために明確な目標を課す一方で、無理のない量をこなす。作戦会議にも時間をかける。

 監督や主将の上意下達型ではなく、自ら課題を設定することや、考えることを推奨している。たとえば、自分たちの練習や試合を録画し、みんなで分析するのはよくある光景だ。負けた試合があったとしても「なぜ負けた」と恫喝するわけではなく、みんなでビデオをみて考える。

 すべての大学がこうとは限らないが、『スクール☆ウォーズ』や『巨人の星』的な世界ではない。『キャプテン翼』や『SLAM DUNK』ともまた違うということを認識しておきたい。

大学、競技、価値観などを見る必要がある。

 さて、人事は体育会系学生をどうみるか? 彼ら彼女たちは、丁寧に面接する。それが鉄則だ。「○○大学の○○部でレギュラー。関東一部優勝を果たした際の副将」などという肩書きをみてワクワクするかもしれないが、冷静にならなくてはならないのだ。

 前提として、採用活動においては「ラベル」を信じてはいけない。体育会系に限らず「有名大学出身」「名門高校」「理系」「名門ゼミ」「サークル代表」などという「ラベル」だけを信用しないのが基本だ。

 もちろん、これらのラベルには傾向のようなものはなくはない。例えば、東大・京大などの出身者は「“受験勉強”においては、日本トップクラスに優秀で、成果を出すことができた」という点などがわかるといえばわかる。

 ただ、実際には「ラベル」だけでなく「レベル」を見なくてはならないのだ。価値観、行動特性、思考回路、成長意欲、勝利の方程式などを解き明かすのが採用活動である。

「体育会系」は実に多様だ。大学、種目、レギュラーか否か、主将・副将・主務など責任のあるポジションかなどプロフィールの違いだけではない。何を成し遂げたのかという結果や、どのようにトレーニングに取り組んできたのかというプロセス、さらにはスポーツをする動機は何かなど、実に多様な体育会像がある。

過剰な期待は禁物。

 ここで気をつけないといけないのは、体育会系に対する誤解、過剰な期待というものがあることだ。個別の学生をみなければ、判断できない。

 たとえば、次のような期待は、間違いである可能性がある。

・体育会系は勝利に対するこだわりが強い
必ずしもそうではない。単にスポーツが好きでやっているだけの人も存在する。しかも、大きな成果を出しつつも。仮に勝利へのこだわりがあったとしても、それは本人の特性なのか、組織の風土なのか、指導者の関わりによるものなのかなど読み解かなくてはならない。

・上下関係が厳しく、理不尽な要求にも耐えられる
チームによっては、ジャニーズ事務所的な「君付け文化」でフラットな組織もある。仮に上下関係が厳しくても、役割行動だと割り切っている場合も。ゆえに、意外に部外の人と接するのが苦手だったり、部活関連以外の理不尽な要求は苦手ということも。そもそも理不尽に耐えられることを期待すること自体、日本の企業社会の歪みなのだが。

・チームで働くことができる
単なる馴れ合いや、逆に言われたとおりにやっているだけということも。同質集団での行動が得意なだけで、多様な集団におけるチームワークが苦手な人も。

・メンタルが強い
やることや、役割行動が決まっているので、意外にストレスがないということも。好きでやっているがゆえに、勝利のプレッシャーを感じないということもある。日本トップクラスのアスリートでも「メンタルの弱さが出た」などと報じられるのだから、メンタルの強さが「必ず」あると考えるのは間違い。仮にメンタルが強いと感じられても、個人によるものではなく、チームや指導者に支えられているというケースも。

・勝つために考えて行動する
意外に考えない人もいる。作戦やトレーニングメニューはすべて、監督や幹部が考えているということも。もちろん、この「考えない」ということを評価する企業や人も存在するのだが。結果は出すが、実は勝利へのこだわりがないということも。

大学、競技、価値観などを見る必要がある。

 というわけで、体育会系であっても他の学生と同じように、それぞれの人物を丁寧に検証しなくてはならないし、組織に合致しているかどうかを考えなくてはならない。もっとも、この「体育会系に対する期待」「体育会系というラベル」だけを求めている企業や採用担当者もいるから面倒臭いのだが。

 なお、体育会系の採用に関しては、各社の人事がノウハウのようなものをためている。これまた、都市伝説のようなものではある。

 例えば「強いチームにこだわらなくてもいい。体育会ではなく、同好会で、しかも結果を出しているチームのリーダーは、人をマネジメントし、伸ばすことに長けている」

「ラクロス部など、比較的新しく普及したスポーツをしている人は因習に縛られないし、伝統を自らつくる気があるのでよい」

「むしろ、レギュラーでなくてもチームを支える人を評価せよ」「挫折体験は必ずチェック」

「プロへの未練があるかどうかは確認すべき」

「ガチ勢はそもそも就活を熱心にやらない。賢いガチ勢をとるなら、自社で学生を待つのではなく、戸田公園に行くべき。全国の有名大学のボート部員が集結している」

「2部降格などを経験したチームの関係者は、挫折、逆境に強いので採用すべき」などである。

 そういえば、以前、大手広告代理店で採用を担当していた方によると、彼は「アメフトは戦略のスポーツです」とアピールするアメフト関係者は採るなと部下に指導していたらしい。あくまで彼の経験則であるが。

採用する側にも力が必要なのだ。

 いずれにせよ、体育会というラベルに過度に反応してはいけない。それぞれの選手の価値観、行動特性、思考回路などを味わいつくさなくてはならないのである。

 体育会系を採用するためには採用担当者もストイックに力をつけなくてはならないのだ。

文=常見陽平

photograph by AFLO