数々の好成績を残し、充実の一途にある日本バドミントン。

 日本の好調ぶりをあらためて証明する成績がまた1つ、加わった。先日の全英オープンの男子ダブルスで、世界ランキング6位につける遠藤大由/渡辺勇大が優勝したのである。同種目では日本初であった。

 全英オープンというバドミントンの世界では大舞台を制したこともそうだが、その中身も濃かった。

 準々決勝では、ヘンドラ・セティアワン/モハマド・アッサン組を撃破する。

 セティアワンは他の選手と出場した2008年の北京五輪で金メダルを獲得、その後アッサンとともに、2013、2015、2019年の世界選手権を制している。

 現在の世界ランキングは2位、インドネシアの英雄と言える2人だ。

決勝では世界ランキング1位と対戦。

 第1ゲームを21−19でとって迎えた第2ゲームはリードを許す。それでもセティアワン/アッサンの望む低い展開をかわすようにスペースを使い、ペースを取り戻し、21−18。昨年のツアーファイナルズ決勝のリベンジを果たした。

 決勝で対戦したのは世界ランキング1位のマルクス・フェルナルディ・ギデオン/ケビン・サンジャヤ・スカムルジョ(インドネシア)。

 第1ゲームをとり、第2ゲームを落として迎えたファイナルゲーム。序盤にリードを奪うが終盤追いつかれると、息をのむようなぎりぎりの攻防が続く。

 それでも渡辺が前方へ出ながら、テンポを上げて対峙する。受け身にならないプレーに、最後は相手のショットがアウト、21−19で栄冠を手にした。

同年代が組むことが多い中、異色の2人

 試合のあと、遠藤はこう語っている。

「過去に賢一と組んだ経験、勇大が優勝した経験が合わさって優勝できました」

 年齢は遠藤が11歳上、同年代が組むことが多い中、異色の2人は、その言葉にあるように、それぞれの道を歩んできた。

 遠藤には、長年組んでいた選手がいる。早川賢一だ。

 遠藤と早川は全英オープンで2013、2014、2016年と3度準優勝、2015年の世界選手権では銅メダルを獲得。しかし、メダルを期待された2016年のリオデジャネイロ五輪では、1次リーグ3戦目の試合前、早川が腰を痛め、決勝トーナメントに進んだものの、初戦で大会を終えた。

 帰国後、遠藤は早川から引退することを伝えられるとともに、「続けてほしい」と言われた。

 どこかで「もっとやれる」という遠藤の無意識の思いに気づいていたのだろう。

ミックスダブルスでも一定の実績。

 今日へとつながる出来事がもう1つ、あった。渡辺からの「僕と組んでください」という申し出だった。渡辺には、遠藤と組むことで自分がもっと成長できる、という思いがあったという。

 遠藤の新たな道が開けた。

 渡辺にも、野心があった。

 渡辺は、ミックスダブルスでもすでに一定の実績をあげていた。

 福島県富岡町立富岡第一中学校の1学年先輩である東野有紗と組み、2014年の世界ジュニア選手権に出場しベスト4になるなど実績を残していた。

 2016年にはミックスダブルスの日本B代表に選出されている。遠藤と組んだあとの2018年の全英オープンでは、ミックスダブルスでは日本初の優勝を飾るなど、たしかな足跡を刻んできた。

それぞれに決意を抱えた2人が成し遂げた。

 遠藤とのコンビ結成は、2つの種目で東京五輪を目指すことを意味していた。

 ただ、複数種目でトップクラスを目指す、結果を残すケースは極めて少ない。遠藤と組んでから、「どちらか1つに絞った方がいいのに」、そんな声も聞かれた。

 それでも渡辺自身は、「自分にはできると思っています」と自身の道を進んできた。

 それぞれに決意を抱えた2人が成し遂げたのが、今回の優勝だった。

東日本大震災で避難をよぎなくされた経験。

 帰国した2人は、こうコメントしている。

「ほんとうに勝ちたい大会でしたので、あらためて勝つことができてうれしいです」(遠藤)

「素晴しい大会で最後までコートに立って優勝できたことを自信に変えて頑張りたいです」(渡辺)

 オリンピックの開催に関してはコロナウィルス感染の世界的な拡大という不安がある。

「命の方が大切ですし、国の決定に従うべきです」(渡辺)

 渡辺は、2011年の東日本大震災で避難をよぎなくされた経験もある。落ち着いた物腰には、そんな時間がいかされているのかもしれない。

 リオで完全燃焼しきれなかった遠藤、2種目での世界一という目標を持つ渡辺、それぞれの目線を持ちつつ、時間をかけてコンビネーションを磨いてきた2人の足が止まることはない。

文=松原孝臣

photograph by Itaru Chiba