サッカー元バーレーン代表のハキーム・アルアライビが、2018年11月に亡命先のオーストラリアから新婚旅行に向かったバンコクで逮捕され、3カ月にわたり身柄を拘束された事件は、当時世界中に大きな衝撃を与えた。そのアルアライビ解放のために尽力したひとりがクレイグ・フォスターだった。

 1969年、オーストラリアのニューサウスウェールズ州リスモアで生まれたフォスターは、元オーストラリア代表にして現在はテレビの人気解説者。同時に彼は“ミリタン(社会活動家)”としての人生も送っている。あらゆる問題の最前線に立ち、サッカーで得た名声が基本的人権の擁護やエコロジーなどの多くの闘争に役立つことを確信しながら、今日も戦い続けているのである。

『フランス・フットボール』誌1月21日発売号では、ジェレミー・ドクトゥール記者が、そんなフォスターの今の姿を紹介している。彼の生き方は、人としてどうあるべきかを考え、行動する契機をわれわれに与えてくれる。

監修:田村修一

オーストラリアにおけるサッカー界の改革を。

 クレイグ・フォスターには複数の顔がある。オーストラリアの人々は“サッカールー(オーストラリア代表の愛称)”が1974年以来のワールドカップ本大会出場を決めた2005年のテレビ中継での、彼の感極まったコメントをよく覚えている。また彼がオーストラリア代表として1990年代に29試合に出場し、イングランドのポーツマスとクリスタルパレスでプレーしていたことも記憶に留めている。

 そして現在、50歳になる彼は、さらにもうひとつ別の顔を持っている。それは“ミリタン(社会活動家)”として基本的人権を擁護し、高貴な目的達成のために働くアンバサダーとしての顔である。

 彼がその活動を始めたのは最近のことではない。現役時代から選手組合(PFA=プロフェッショナル・フットボーラーズ・オーストラリア)の代表として、ヨーロッパのプロフェッショナリズムからは大きく立ち遅れたオーストラリアの状況改善のために尽力してきたのだった。

「PFAは90年代にひとつの世代を生み出した。20人を超える選手たちが、協会幹部たちが持ちえなかった長期的な戦略ビジョンを打ち立てたんだ。それが私の出発点だった」とフォスターは当時を回想する。

オーストラリアン・フットボールとラグビーの国で。

 サッカーというスポーツの地位の向上は、オーストラリアでは常に最優先課題のひとつだった。

 というのも「AFL(オーストラリアン・フットボール・リーグ)」とラグビー(とりわけ13人制)とが圧倒的な人気を誇り、そのふたつの競技ジャンルが激しく対立する同国にあって、その両方とも関係のないサッカーは極めて不安定な立場にあったからだった。ともするとサッカーは、移民の間でおこなわれている舶来のスポーツというレッテルすら貼られていたのだった。

 2002年から『SBS(スペシャル・ブロードキャスティング・システム=オーストラリアにサッカーを広めたパイオニア的な公共テレビ局)』のコメンテーターを務めるフォスターは、サッカーの魅力を語り続けている。

「SBSはサッカーの持つ多様性を称賛し、サッカーによりいかに多文化主義が花開いていくかを示そうとしている。オーストラリアでは、移民たちがそれを作りあげた」

サッカーで世界の多様性に気付かされた。

 2005年にAリーグが創設されるまで、各クラブは多かれ少なかれ民族的な意味合い――ギリシャ系移民のクラブといったような――が強かった。

「私ももともとは単一文化の地域の出身だった。それからクロアチアやセルビア系のクラブでプレーするようになって……そこでこの国(オーストラリア)の多様性に気づいた。サッカーはオーストラリアという社会を映し出す鏡なんだ」

 2018年のロシアワールドカップの際にフォスターが最も気を使ったのは、選手の名前をそれぞれの出自の言語でいかに正確に発音するかであった。

「私がSBSで仕事をはじめたとき、まず配属されたのがラジオセクションだった。そこでは2002年ワールドカップに出場する選手の名前を正確に伝えるために、10以上の言語が使われていたんだ」とフォスターは振り返る。

サッカーだからこそできる異文化の尊重。

 ひとつのエピソードにすぎないが、彼の価値観を象徴的に示しているともいえる。

「他者へのリスペクトの現れだ。とりわけSBSはこの国のすべてのコミュニティを代表している。そしてサッカーは“グローバルゲーム”だから、外からの視点で見ることを教えてくれるし、他者への興味も喚起する。異なる文化を尊重するのは、それがチームメイトのものであり対戦相手のものであり友人たちのものであるからだ。そうしてサッカーは私たちを高めてくれる」

 だが、フォスターの活動はさらにその先を行っている。

 名前を正確に発音することばかりでなく、基本的人権の擁護という点からも彼は積極的な役割を果たしているのである。

 バーレーン出身のサッカー選手で、2014年からオーストラリアに亡命しているハキーム・アルアライビを、全身全霊を賭けて守ろうとしたのだった。

「間違いなく死の危険に晒されていた」

「“アラブの春”の後、バーレーンではシーア派のアスリートたちのグループが監禁され、うち何人かは拷問を受けた。オーストラリアに安住の地を求めて、ハキームは祖国を脱出した」

 ところが2018年11月に、ハネムーンで訪れたバンコクの空港でアルアライビは身柄を拘束されてしまう。祖国に強制送還となれば、投獄される危険性すらあった。

「あのときのハキームは、間違いなく死の危険に晒されていた」とフォスターは語る。

 アムネスティ・インターナショナル・オーストラリアのアンバサダーであり、ヒューマン・ライツ・ウォッチのオーストラリア事務局のメンバーでもあったフォスターは、即座に対応に奔走した。世界に支援の輪を広げることを考え、ソーシャルネットワークの有効性に気づいたのだった。

「事実を伝え、行動していくためにツイッターを活用することを学んだ。人々が自らの責任と向き合うように、ツイートを繰り返した」

50歳の今も大学で学び続けている知識人。

 2019年2月、彼の活動は成果をあげた。晴れて自由の身となり、アルアライビはオーストラリア再入国が認められたのだった。

 そうした活動家の側面とは別に、フォスターには知識人としての顔もある。

 普通ではないのは、とてつもない時間をかけて勉学を続けたことである。国際スポーツマネジメントの修士号と法学の学位を取得したのはほんの数カ月前のことだった。

「19歳で学び始めて終えたのは50歳だった! でも続けることが重要だったんだ。問題を解決していくためのベースを得ることができたのだから」

 新たな闘いは政府の移民政策と、今も600人以上が拘束されていると言われるナウル共和国の拘禁センターへと向けられている。

「オーストラリアは移民で成り立っている国家だ。私は政府に公開レターを送った。それはハキームに対する彼らの尽力への感謝と、今日もなお酷い扱いを受けている他の難民たち――彼らの状況も何らハキームと変わらない――への対応の改善を呼びかけるものだった。

 そうした活動にサッカーは役に立つ。他のスポーツはそうした人々の歴史を語り得ないし、誰もメディアで取り上げようとしない。サッカーにだけそれができる」

コマーシャリズムに毒されてしまったスポーツ界。

 ただ、オーストラリアが自ら痛みを感じながら問題の解決に取り組もうとしているとき、アスリートたちが沈黙を守り続けているのがフォスターには残念だった。

「スポーツが基本的な人権について妥協してしまったら、世界はより悲惨になる。選手はメッセージを伝えるために発言できるし、自分たちのステータスを利用できる。

 スポーツにはコマーシャリズムが過剰に氾濫していて、人権への配慮を欠く経済的な圧力は深刻だ。そんな中、多くのことが選手たちの言葉を制限する方向で働いている。契約条項がそうだし、沈黙の文化が確立しようとしている。

 大多数のアスリートはシリアスなテーマに対して確固とした意見を持っている。だが、そうした意見は片隅へと追いやられ、語ればほぼ間違いなく批判にさらされる」

 彼にとって、それは疑いのない事実なのであった。

アスリートが先導する環境保護活動も。

 どんなに厳しい状況にあっても、サッカーはエコロジカルな感性を助長し、人々の行動を変えることに寄与できると、彼は信じている。

「FIFAは“For the Game.For the World.=ゲームのために!世界のために!”というスローガンを掲げている。ならば本気であることを証明すべきだ! 世界に向けて注意を促すだけでは十分ではないだろう」

 新たな試みとして、アスリートを巻き込みながら環境を保護するいくつかのプロジェクトが立ち上がっている。先頭に立つのはもちろんフォスターである。

 いかにして人々の意識を覚醒させていくか。

「すべては歴史が判定を下すだろう……」

 終わりなき戦いはこれからも続く。

文=ジェレミー・ドクトゥール

photograph by Fairfax Media