髪は決して多くなく、ずんぐりむっくりした身体つき。イケメンではないものの、可愛らしく、グリーンがかった茶色い瞳がとても印象的だった。

 ウェイン・ルーニーの第一印象である。ゆるやかにウェーブがかかった長髪を風になびかせるわけではなく、スラリともしていない。スター候補生にはほど遠い印象だった。あくまでもイングランドの兄ちゃん。しかもケンカが好きっぽい。プロフィールを紐解くと「叔父はボクサー」。なるほど、血は争えないというわけか。

 もっとも、プロのアスリートは男女を問わず好戦的だ。プライベートでは穏やかでも、基本的には負けることが大嫌いだ。負けてもヘラヘラしているようなヤツらは一般大衆の支持を得られない。

 ヨハン・クライフ、ミシェル・プラティニ、ディエゴ・マラドーナ、ロマーリオなどなど。後世に名を残すビッグネームは勝利のためなら乱闘も辞さない覚悟で試合に臨んでいた。

加入直後からギグスらをガチ削り。

 ルーニーも同類で、練習中から本気モード全開。エバートンからマンチェスター・ユナイテッドに移籍した2004年の夏には、ポール・スコールズ、ライアン・ギグス、リオ・ファーディナンドといった主力にもいっさい遠慮せず、ガチで削りにいったという。まるで“暴れ馬”だ。

「暴れ馬を乗りこなすコツは落ち着かせ、エネルギーを無駄に使わせないに限る。そしていざとなったら、その才能を一気に解き放してやればいい」

 競馬を愛し、馬主でもあるサー・アレックス・ファーガソンが述懐している。

「どのポジションでも超一流になっていただろう。仮にキーパーでもね。練習中に信じられないようなセーブを見せるんだ。クロスには弱かったよ」

 ファーガソンは“名ジョッキー”として、暴れ馬ルーニーの手綱を見事にさばいた。

ファーガソンは用意周到だった。

 コンディションが万全に見えても、試合には投入しない。2004-05シーズン開幕後は、ベンチにすら入れないケースもあった。

 完全実力主義者のファーガソンはクラブ内のヒエラルキーなど気にせず、力のある者にチャンスを与えて名将の地位を築いたが、ルーニーのデビューだけはやけに慎重だった。

 しかし、サー・アレックスが用意周到だった、とも考えられる。なぜなら、ルーニーの移籍が決定したのは2004年8月31日の夕方。移籍市場が閉まる7時間ほど前のことだった。

 試合から1カ月半ほど遠ざかり、新シーズンに向けたエバートンの練習にも数えるほどしか参加していない。ユナイテッドのトップチームで闘うだけのフィットネスは、明らかに不足していた。

 しかもルーニーは太りやすい。練習メニューを少しでも軽くすると、せっかく落ちた体重が元に戻ってしまう。それでも彼は泣き言ひとつ口にしなかった。他の選手よりも厳しい練習に耐え、ただひたすら自分を追い込んでいった。

CLでいきなりのハットトリック。

 そしていよいよ、デビューのときがやって来た。9月28日、チャンピオンズリーグのフェネルバフチェ戦である。

 多くのメディアがヘッドラインに用いた「センセーショナル」という表現が陳腐なほどの衝撃だった。あるときは獰猛に、またあるときは細心に、デビュー戦でいきなりハットトリック!

 ルーニーは一躍注目の的になった。このシーズンはプレミアリーグでも11得点・2アシスト。イングランドの、いや世界的なストライカーとして、その才能を輝かせるに違いないと、だれもが信じて疑わなかったのだが……。

パク・チソンとともに幅広くカバー。

 ルーニーの適性はシャドーストライカーだ。ルート・ファンニステルローイ、ディミタール・ベルバトフのように、ボールを収められるタイプの背後が最も生きる。

 その一方でファーガソンが証言した(前述)ように、どのポジションも難なくこなすマルチでもある。C・ロナウドがユナイテッドに在籍していた当時は、攻め→守りの切り替えを苦手としていたこの男の周囲を、パク・チソンとともに幅広くカバーしていた。プレーエリアはピッチ全体、与えられたタスクは多岐に渡る。

 しかし、ユナイテッドそのものが経済力でチェルシー、マンチェスター・シティに後れを取りはじめ、ビッグネームにとって興味の対象外になったことはルーニーにはダメージだった。

 2009年夏、C・ロナウドがレアル・マドリーに移籍した後、だれもが納得する即戦力は誰ひとりとしてやって来ない。さらにスコールズが'13年に、さらに1年後にはギグスが引退し、チームは弱体化。ルーニーがすべてを背負うような状況になっていく。

もしFWに専念できていれば……。

 借財にまみれたグレイザー・ファミリー(2005年にユナイテッドを買収)ではなく、経済的な余裕と中長期のプランニングに長けた組織がユナイテッドのバックについていれば、ビッグネームを惹きつけられたかもしれない。ルーニーのポテンシャルを存分に引き出すポストワーカーを獲得できたかもしれない。

 その結果、ルーニーは適性と考えられるシャドーストライカーで、より多くのゴールを決めていた可能性は決して否定できない。ユナイテッドでの通算ゴールがクラブ最多の253得点だったとしても、FWに専念できていればあと50点は……300ゴールを超えられたのではないだろうか。

 シーズン最多ゴールは2011-12シーズンの27得点。その後は度重なる負傷も影響し、20ゴールにすら届いていない。ユナイテッドも2012-13シーズン限りでサー・アレックスが退任すると、後任のデイビッド・モイーズ、ルイス・ファンハール、ジョゼ・モウリーニョは、いずれも周囲の期待を裏切るだけだった。

FA杯で聖地に帰還したルーニー。

 2017-18シーズン、ルーニーはユナイテッドからエバートンに戻り、アメリカ・ワシントンのDCユナイテッドを経て、ことし1月から再び英国のダービー・カウンティでプレーしている。

 現在34歳。キャリアの終止符はイングランドの古豪で打つ公算が大きい。ユニフォームを脱ぐときが刻一刻と近づいている。

 ジョージ・ベスト(故人)やサー・ボビー・チャールトン、デニス・ローのように、本拠オールド・トラッフォードに銅像が建てられるようなことはないだろう。スコールズ、ギグス、デイビッド・ベッカムのように下部組織から育ち、超一流になったわけでもない。

 しかし、3月5日のFAカップ5回戦。ダービーのユニフォームを着てピッチに立ったルーニーに、ユナイテッド・サポーターは温かいチャントを捧げた。

I saw my mate the other day,
He said to me, he's seen the white Pele,
So I asked, who is he,
He goes by the name of Wayne Rooney
Wayne Rooney Wayne Rooney
He goes by the name of Wayne Rooney

(和訳)
オレはこないだ、友達と会ったんだ
そいつはオレに「白いペレを見た」と言ったんだ
だからオレは、そいつに名前を尋ねたんだ
そいつはウェイン・ルーニーと称したんだ
ウェイン・ルーニー、ウェイン・ルーニー
そいつはウェイン・ルーニーと称したんだ

伝説のカウンターとオーバーヘッド。

 プレミアリーグが5回、リーグカップは4回、チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、FAカップ、クラブ・ワールドカップは1回ずつ、ユナイテッドに数多くのタイトルをもたらしたルーニーは、永遠のヒーローとしてユナイテッド・サポーターに語り継がれていくに違いない。

 2007年3月17日、ボルトン戦。C・ロナウドとふたりで完結したロングカウンターは、いま見ても鳥肌が立つ。

 2011年2月12日、シティ戦。ナニのクロスに合わせたオーバーヘッドは、フットボールに興味がなくても一度は観ておくべき"“スーパーミラクル・ファインゴール”だ。

ウェイン・ルーニー──。約20年に及ぶ彼のキャリアを堪能してきた。フットボールを生業とする筆者にとって、この上ない幸福である。

文=粕谷秀樹

photograph by Getty Images