2008年5月2日。

 その日、井上康生は記者会見を開き、現役生活に終止符を打つことを表明した。

 すでに4月29日の全日本選手権準々決勝で敗れ、目指していた北京五輪代表が遠のいたとき、その意向は示していた。

 それでも正式に発表されれば、一抹の寂しさはぬぐえなかった。

 一時代の華だった。

 1999年の世界選手権で優勝すると、2003年まで3連覇を達成。

 何よりも井上の名を広く知らしめたのは、2000年のシドニー五輪だった。

「組んだら一本」と評されたことも。

 100kg級の本命と言われて臨んだ大会で、井上はプレッシャーもなく、もてる力を発揮する。

 初戦となった2回戦は18秒、3回戦は16秒で一本勝ちをおさめたのだ。対戦相手も井上の強さを熟知し、組み手争いなど対策を施してきた。だがそれをものともしない強さを見せつける。

 準決勝も一本勝ちし、迎えた決勝。相手のギル(カナダ)は容易に組ませない。それでもつかむやいなや、最も得意とする内股を仕掛けると、ギルは背中から畳に叩きつけられた。

 スピード、切れが図抜けていた。「組んだら一本」。そう評されたこともあるほどだった。

 しかも鮮やかな投げ技を決める姿は、一本を獲りに行くことをよしとする日本柔道の体現者と言ってよかった。一躍、柔道界を超えたスターとなり、人気を集める柔道家となった。

華麗にも見えた歩みは暗転する。

 そんな華麗にも見えた歩みは暗転する。

 連覇を狙った2004年のアテネ五輪は、日本選手団の主将として臨んだが、重圧があったか、準々決勝で敗れ、敗者復活戦でも負けてメダルを手にすることはできずに終えた。

 そこから立て直した井上に、大きなアクシデントが襲う。2005年1月、嘉納治五郎杯で優勝したものの、決勝の試合中、右胸大胸筋腱断裂の重傷を負ったのである。

 腱は元には戻らなかった。可動範囲が狭くなり、本来の技の切れは失われた。

 得意としていた内股や大外刈りの満足いく崩しや掛けはできなくなった。

怪我を言い訳にすることはなかった。

 だが、井上は怪我を言い訳にすることはなかった。練習に励み、もう一度技を取り戻そうと努めた。もがいた。

 それはかなわなかったかもしれない。でも、懸命な、真摯な姿は、かえって井上を輝かせるように、応援する人々を増やしていった。

 仮に、明と暗があるとすれば、暗にあたるアテネ以降の過程に、それ以前と同等の、あるいはそれ以上の価値があった。真骨頂と言っていいかもしれない。

 迎えた引退会見で、井上は言った。

「柔道人生に悔いなしという気持ちです」

 その言葉通りの競技人生だった。

 会見では、指導者を目指すことを明らかにした。

「強さはもちろん、人間的にも素晴らしい、皆さんに愛される柔道家を育てたいと思います」

「すべての選手に金メダルを獲らせてあげたいです。そういう情熱を注いでいきたい」

 日本代表監督に就任したのは、2012年11月だった。

「覚悟をしっかり固めた上で引き受けました。大変責任を感じています。全身全霊を懸けてやってまいりたいと思います」

選手1人ひとりを尊重し、対話を図った。

 言葉に誇張はなかった。同年のロンドン五輪で、史上初の金メダルなしに終わり、「惨敗」として悪い意味で大きくクローズアップされた。その再建を託されたのである。重い役割と言ってよかった。

 そして井上は、それを果たしてみせた。

 2016年のリオデジャネイロ五輪で、金2、銀1、銅4、全階級でメダルを獲らせたのだ。

 井上の改革は多岐に渡った。柔道が海外に広く普及し、スタイルも多岐に渡っていることを選手に意識付け、研究するよう導いた。相手を知ることを求めた。

 トレーニングも含め、科学・合理性に裏打ちされた強化方針を打ち出す一方で、土壇場の気持ちの強さが大切であることも忘れなかった。両面の指導にあたった。

 それらもあって、前体制とでは、選手との関係が大きく変わった。根性面に偏りがちで、いきおい、選手への目線が上からになりがちだったのと異なり、選手1人ひとりを尊重し、対話を図ったのだ。

落選した選手を思い、涙した。

 かける言葉には、井上の経験と思いもいかされていた。

「メダルを獲る、獲らないで、その後は大きく変わってくるものなんだ」

 何度も語りかけて、メダルの重みを伝え、執念を育もうとした。おそらくは、アテネでメダルを逃した自身の苦い体験が込められていたし、経験を指導者としていかそうという姿勢がそこにあった。

 選手への情熱は、今年2月、東京五輪代表選手を発表する場にもうかがえた。落選した選手を思い、涙したのだ。

「選考を思い浮かべる中で、ギリギリで落ちた選手たちの顔しか浮かびません。ほんとうに彼らはすべてをかけてここまで戦ってくれました」

 真摯な歩みで得た自身の経験をいかしつつ知識を貪欲に吸収して指導方法を構築。そして根幹にある、選手への情熱。これらが相まって、名選手は名将として立つことができた。

 2021年へ、その熱が衰えることはない。

文=松原孝臣

photograph by YUTAKA/AFLO SPORT