競技スポーツには、「マスターズ」と言われるカテゴリーがある。競技団体によって30歳〜、35歳〜など年齢基準は様々だが、いくつになっても、競技を続けることができる。来年には、4年に一度開催されている世界大会、「ワールドマスターズゲームズ」が日本(関西)にて、参加者5万人規模で予定されている。

 ノンフィクション作家の高橋秀実さん(「ハシゴダカ」の高橋。以降「高」表記)は、ある取材をきっかけに、マスターズアリスートに興味を抱き、このたび、71歳から89歳までの24組に取材をし、『一生勝負 マスターズ・オブ・ライフ』を上梓した。高橋さんがご長寿アスリートから教えてもらったこととは――。

「なんで走るのですか?」「ひとりになれるから」

――取材のきっかけは数年前にさかのぼるんですよね。

「ある雑誌の取材で、佐賀で開催された全日本マスターズ陸上競技選手権大会に行ったんです。まっすぐ歩けないくらいの猛暑の日。私なんか見学しているだけでフラフラしていたんですが、そこに100m走に出場していた70代の女性がものすごい気迫でゴールしてきまして、思わず『なんで走るんですか?』と訊いてしまいました。すると彼女は、『ひとりになれるから』と答えたんです。

 漠然と、マスターズって、同好の仲間が集まるんだろうと思っていたので、『走ることでひとりになる』というのは意外で驚きだったんです。彼女は専業主婦で、いつも家族がいる。たとえ留守でも家の中にいると、炊事、洗濯……と家族の気配がなかなか消えない、それを振り切るためには走るしかない。そこでようやくひとりになれると言うんです。
 それまで私は、『走る』というのは目標に向かっていくものだと思っていました。ゴールに向かって、とか、愛する人に向かって走っていく。ところが逆に愛する人から逃げるんですね。まさに今、自宅で過ごしている人たちが、結構外を走っていますよね。あれも、家庭にいられなくて走っているんじゃないでしょうか。家族からの逃走。“逃げ足”というか、大抵の動物だって逃げるために走りますよね。走らなければ逃げられないわけで、走るっていうのは逃げることなんです。そう考えると100m走も違って見えてくる。『走る』ことの真意に触れたと言いましょうか……」
 
――それで、他の競技のマスターズアスリートにも取材してみたいということになり、『ナンバー』で連載が始まったんですね。

「そうです。『走る』ってことだけでもこれだけ革命的な気づきがあったので、他の競技にも何かあるんじゃないかと思いました。スポーツというと、どの競技も「努力」や「忍耐」、目標に向かって頑張るとか、練習を積み重ねるというような同一の価値観に覆われていますよね。そういったものを取り払った時に、それぞれの競技の本当の醍醐味が見えてくるんじゃないかと思ったんです」

「『私、練習しません』って言われまして」

――その新しい見方は、マスターズにあるのではないかと。

「どんな競技でも、体力で押し切れるところがありますよね。でも歳をとって体力が衰えてもやっているということは、そこには競技特有の存在理由があるのだろうと」

――取材を始めてみて、その期待通りでしたか?

「最初に取材したのが、77歳の藤岡裕子さんという走幅跳の選手だったんですが、いきなり『私、練習しません』って言われまして。えっ? とびっくりしましたね。

 それで『なんでですか?』と訊くと『ケガするから』って。『骨折したらどうするんですか!』と。実際、彼女はウオーミングアップもしないんです。会場に来て、走って、跳んで終わり。これまでスポーツの取材をしてきて、練習しない人というのは初めてでした。

 普通は練習が大前提で、練習の中にドラマもありますよね。そういう価値観も吹き飛ばされました。じゃあ何をしているのかというと、彼女は『風に乗りたい』と言って風を待っていた。記録というのも『出す』ものではなく『出る』ものらしいんです。確かに風はそうですよね。風になるには練習しちゃいけないんです。自分が思い込んできたスポーツというものが、マスターズの方にうかがうとまったく違うものに見えてきました」

「まさに人生100年、大丈夫な感じ」

――メダルを300個も持っているという藤岡さんからは、「文鎮に使って」と金メダルを3つプレゼントされたそうですね。

「扇風機を使っている時なんか、本当にメダルは原稿を押さえられるんで、ありがたいです。

 藤岡さんもそうですが、皆さん変わらずご活躍されていまして、その後の大会の結果もお知らせいただいております。まさに人生100年、大丈夫な感じです。空手の山田孝さん(75)の職業は発明家でして、革のお手製マスクを送っていただきました」

「生きているということは常に勝負していくこと」

――『一生勝負』という書名のきっかけになった、卓球の高木富子さん(83)のお話は、ハッとさせられるものがありましたね。

「高木さんの『何事も勝つか負けるか』という言葉には、はっきり言ってひるみました。人生は勝ち負けじゃない、できれば引き分けで、と思って生きてきたものですから。

 ラケットもウエア選びも、何から何まで勝負。結婚も子育ても勝負。考えてみると、勝ち負けにこだわったほうが人生はハッキリすると思いました。どちらでもいい、と考えているとどこかモヤッとする。すべて勝負だと思ったほうが、メリハリもつくし気持ちは晴れるんじゃないかと。だから元気なんですよね、高木さんも。

 勝ち負けには連続性があって、勝って終わり、負けて終わりではない、次があるわけです。どんな競技も勝負がつきもので、それがなかったらゲームでなくなる。プレイヤーは勝つために動く。それが本質なわけで、その只中にいるというのが現役であるということ。
 この人たちは現役なんだと思いました。仕事もそうですよね。勝負しているかどうか。生きているということは常に勝負していくことなんです。私なんか勝負を避けてきたんで、これからは少し勝負していきたいと思いました」

――この一冊を通じて何を感じてもらいたいですか。

「この本の目次は、二十四節気に合わせて、二十四組の方々を順に紹介しています。二十四節気と一緒で、人生は巡っていく。今日負けても明日勝つというつもりで日々を過ごしましょうということですね」

*年齢は取材当時

文=藤森三奈(Number編集部)

photograph by Nanae Suzuki