どうもイニエスタは本当に日本を、Jリーグのことを気に入ってくれているようだ。

 現時点でヴィッセル神戸とイニエスタの間で結ばれている契約は、2022年1月31日まで。つまり2021年シーズンまでとなっている。ただ4月29日に古巣バルセロナとのオンラインインタビューに答えた際、こんな風に話していたのだという。

「時々、引退について考えることはあるけど、正直まだ、少し遠くのことに見えている。僕のフィジカルの調子、やる気、モチベーションレベルはすごく良いし、僕はプレーしながら、とても幸せで満足しているし、さらに続けられる力を感じている」

 イニエスタはJリーグの中断中、日本だけでなくスペインの「マルカ」など各紙、イギリスの「ガーディアン」紙といった各国メディアの取材にも応じている。それを読んでみると「日本での生活が快適である」こと、そして「プレーを続けて、皆さんをまた幸せにしたい」と契約延長に前向きなコメントを発信。未来については神のみぞ知るだが、まだまだその“魔法”を見せつける心づもりなのだろう。

出稼ぎではなく、Jリーグで活躍したい。

 こんな風に日本への思いを明かしているイニエスタだが、そう言えば2011年クラブW杯で来日した際のこと。地下鉄に乗って「文藝春秋」の中吊り広告の下で写真を撮ってるのに、通勤客が誰も気づいてないなんて“世界的騒動”があった。それも9年前の話か……。

 もし2020年の今、不要不急の外出自粛が解けた際に同じシチュエーションが訪れたら「なんでイニエスタが乗車してんの!!」とパニック必至だろう。

 閑話休題。

 2018年ロシアW杯を直前に控えたイニエスタは、12歳の頃から過ごしたバルサを退団し、新天地にヴィッセルを選んだ。時が経つのは早いもので、この5月でちょうど2年となる。とんでもないターンからのJ1初ゴールに始まり、ピッチどころかスタジアムの空間をも支配したかのような絶妙なアシスト、そして数えきれないほどの「どうすればそんなことできんの?」というスキルの数々を見せてくれた。

 今季がJ在籍3年目であるイニエスタ。もし契約延長が2022シーズンの単年契約と仮定しても、計5シーズンも日本でプレーする計算になる。ここ数カ月の中断期間があまりにもったいないとも感じるが、数年で“出稼ぎ終了”ではなく、長くJリーグで活躍したいとの意欲を発信してくれるのは、本当にうれしいことである。

 そんな感慨に浸りつつ、気になったことがある。長期間にわたって日本でプレーしてくれた、いわゆる「大物外国人」とはどんな面々だったのだろうか?

3シーズン以上、Jでプレーした大物。

 以下は欧州ビッグクラブでの主力になった、または強豪国での代表経験が豊富な選手において、3シーズン以上にわたって日本の公式戦に出場した選手をピックアップしてみた。なおカッコ内の「途」はシーズン途中での加入・退団である。まずは5シーズン以上にわたって活躍した選手を見てみよう。

<10シーズン>
ビスマルク
(V川崎'93途〜96、鹿島'97〜01、神戸'03途)

<8シーズン>
ストイコビッチ
(名古屋'94途〜01途)

<7シーズン>
サンパイオ
(横浜F'95〜98、柏'02、広島'03〜04途)
フランサ
(柏'05途〜10途、横浜FC'11途)

<6シーズン>
ポンテ
(浦和'05途〜10)

<5シーズン>
エムボマ
(G大阪'97〜98途、東京V'03〜04途、神戸'04途〜05途)

カゼミーロが日本へ来るようなもの?

 ビスマルクは招集された1990年イタリアW杯で出場こそなかったが、通算13試合(1得点)の成績を残している。この実績クラスの選手が23歳で当時黄金メンバーのヴェルディに加わったのは今思うと驚きだし、その後も常勝・鹿島の礎を築いたのも納得である。

 ピクシーことストイコビッチも、キャリアが下り坂になる前に日本に来てくれた1人。'90年W杯時点でイビチャ・オシム率いる旧ユーゴスラビア代表のエースだったが、グランパスに加わった29歳時点でもテクニック(とヤンチャな闘争心)は図抜けていた。

 何よりピクシーにとって僥倖だったのは、在籍2年目にベンゲルという名監督と巡り合えたことのはず。戦術的ながらも選手の特性を生かすベンゲルの名が世界に知れ渡るのは名古屋を去った後のアーセナル時代だが、ワールドクラスの選手と指導者が同時にいたのは、Jリーグ史を見ても奇跡的な出会いだった。

 当時CL常連だったレバークーゼンにてチームメートだったポンテとフランサ、そしてサンパイオといったブラジル人選手も味わい深い。特にフランスW杯前後のセレソンを目にしたサッカーファンにとって、サンパイオは「ドゥンガの相方」のイメージが強いだろう。

 でも先日放映された横浜フリューゲルスの天皇杯決勝で、攻守両面に効いたボランチぶりに見とれた人も多いはず。そんなサンパイオがJにやってきたのは27歳の時。「セレソンで盤石のボランチ」と、無理やり現代のサッカーに当てはめてみると……カゼミーロ(現在28歳)が来たと想像したら、ひっくり返ってしまいそうだ。

勝利というご馳走を教えてくれた。

<4シーズン>
ジーコ
(鹿島'91〜94途 ※住友金属時代含む)
リトバルスキー
(市原'93〜94、ブランメル仙台'96〜97 ※JFL)
ブッフバルト
(浦和'94途〜97)
スキラッチ
(磐田'94〜97途)
ジョルジーニョ
(鹿島'95〜98)
ドゥンガ
(磐田'95〜98)
マグノ・アウベス
(大分'04〜05、G大阪'06〜07)
フッキ
(川崎'05、'08、札幌'06、東京V'07、'08途)

 4シーズン在籍した面々には、Jリーグどころか世界のサッカー史にも名を刻んだレジェンドだらけだ。

 ジーコは語るまでもなく、1990年W杯優勝の西ドイツ勢が2人。そのイタリア大会で得点王になったスキラッチ。そして'94年アメリカW杯優勝のセレソンからはドゥンガ、ジョルジーニョ。Jリーグ草創期がいかに華やかで、ジャパンマネーが強かったかも実感させられる。

 ドゥンガに“ボランチとは何たるか”を叩きこまれたと福西崇史氏に聞いたことがあるが、今イニエスタがやっている役割を、このビッグネーム達が果たしていたのは誰もが知るところだ。

 またイニエスタ含めて彼らビッグネームのほとんどは、各クラブ史において大切なタイトルをもたらしている(ブッフバルトは監督になってからのリーグ制覇だが)。プレーで魅了しつつ、勝利の味が一番のご馳走であることをファンやサポーターに提示したからこそ、今もなお愛される存在なのだろう。

世界へ巣立った怪物フッキ。

 対照的に「Jで育ってビッグになった」のがフッキだろう。

 18歳で川崎に加入後はジュニーニョらがいる分厚い外国人枠の前に出番が少なかったが、札幌、ヴェルディで過ごしたJ2の2年間で計62ゴール。2008年に川崎に戻ったものの、そこから再びヴェルディに加わると11試合7得点。圧倒的な決定力を見せて有望株が集うポルトへと旅立ち、ブラジル代表へと上りつめた。

パク・チソンがマンUで活躍するとは。

<3シーズン>
レオナルド
(鹿島'94途〜96途)
ベギリスタイン
(浦和'97〜99)
パク・チソン
(京都'00途〜02)
エジムンド
(東京V'01途〜02、浦和'03)
ワシントン
(東京V'05、浦和'06〜07)
ドゥンビア
(柏'06途〜07、徳島'08)
ポドルスキ
(神戸'17途〜19)
ジョー
(名古屋'18〜現在)

 J経由で最も成功した外国籍選手。それはパク・チソンで間違いないはず。

 日韓W杯で韓国代表監督を務めたヒディンクに見初められてPSVに渡ったが、まさかマンチェスター・ユナイテッドで長年欠かせぬ選手になるとは……。サンガ時代、松井大輔や黒部光昭との3トップが魅力的だったとはいえ、当時ここまで化けると想像した人は数えるほどだろう。

 フッキ、パク・チソン以外にも日本経由→欧州で活躍パターンはある。CSKAモスクワで本田圭佑の同僚となったドゥンビア、2シーズンだけの在籍だったがアモローゾ('92〜93V川崎)の名を思い出す人も多いだろう。今のJだとチャナティップやオルンガらもそのパターンに続くのか……と未来を想像するのも楽しいかもしれない。

 一方で野獣エジムンドは3シーズン在籍したと言えばしたのだが、浦和ではナビスコカップ2試合に出ただけで退団。破格の問題児ぶりも今となっては味わい深い。

40歳になってもJの舞台で?

 さて冒頭で触れたイニエスタ。「マルカ」紙には「この休息の期間は、自分のプロとしてのキャリアを伸ばすことを試みるため、いくつかの強さを与えてくれる。でも今できるただ1つのことは、この大変な状況を乗り越えることだよ」とも語っていたのだという。

 そこまで言ってくれるのなら――単年契約での延長とは言わず、2023年以降も末長くやってほしい。

 稀代の名手イニエスタが40歳になってもピッチに君臨する姿を妄想すれば、今の中断期間だって、なんとか耐えられる。

文=茂野聡士

photograph by Naoki Nishimura/AFLO SPORT