2018年9月27日に初めて就いたバドミントン男子シングルス世界ランク1位の座を、1年半以上キープし続けている。

 昨年は、あのリー・チョンウェイの記録を抜き、歴代最多となる国際大会年間11勝を挙げた。

 今年1月にマレーシアで交通事故に遭ったときに、マレーシア首相夫人の見舞いを受けたことからも明らかなように、桃田賢斗(NTT東日本)はバドミントン界の顔であると誰もが認めるナンバー1の選手である。

 違法賭博問題による約1年間の謹慎生活や絶頂を極めているタイミングでの交通事故、事故から3週間たって発覚した骨折および手術。山あり谷ありの人生を送る桃田だが、そのたびに見せている競技に対する強い思いが多くの人々の胸を打ってきた。

 何が起きても「バドミントンを辞める気持ちにはならなかった」と言い続けてきた。

「もう辞めます。僕は持っていない」

 ヘアピンなどの超絶なテクニック以上に、今やバドミントンに対する確固たる愛情こそが一番の武器であると思わせる桃田。しかし、彼とて若い頃からそこに気づいていたわけではない。

「もう辞めます。僕は持っていない。ここまでの選手です」

 桃田はうなだれながら声を絞り出していた。

 '14年12月7日、東京・代々木第二体育館で行なわれた全日本総合選手権男子シングルス決勝。当時の世界ランキングは15位、初の全日本タイトル獲得へ自信満々に臨んだ当時20歳の桃田は、決勝でベテランの佐々木翔(トナミ運輸)に2−0(21−11、21−19)でまさかのストレート負けを喫した。

 そのときにチーム関係者の前で口を衝いて出たのが「もう辞めます」という言葉だった。

ドバイに着いても気持ちは回復せず……。

 それまでも冗談でそんな風に言うことがなかったわけではないが、この時ばかりは様子が深刻だった。もともと、負けたときに落ち込むとそれを引きずる性格だった。

 とはいえ桃田にはすぐに次の試合が待っていた。

 アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催されるスーパーシリーズ・ファイナルズ(現ワールドツアーファイナルズ)への派遣が決まっていた。スタッフからなだめられた桃田は、落ち込んだ顔のまま飛行機に乗り込み、大会に臨んだ。

 だが、現地に着いても気持ちは回復してこなかった。

 そして、初日にあったグループリーグの試合でインドのK・スリカンスと対戦し、あっけなく負けた。第1ゲームを先取したものの、第2ゲームを取られるとファイナルを10−21でアッという間に落したのだ。

天才が初めてきつく叱られた。

 チーム関係者からカミナリが落ちたのはこのときだった。

 会場から宿舎に戻るバスの車中。ひとりでポツンと最後部座席に座っていた桃田は、前方の席に呼ばれ、厳しくたしなめられた。

「勝った負けたは当然ある。負けたっていい。でも、一生懸命やっていない。ひたむきさがない。自分だけの責任じゃないんだ。応援してくれる人、期待してくれる人がいるということを分かっているのか」

 桃田はエリート中のエリートだ。

 小中高で日本一、'12年には世界ジュニア選手権で日本人初優勝に輝き、'14年5月の国別対抗トマス杯では第2シングルとして全勝を飾って日本の初優勝に貢献した。

 日の当たる道を歩み、天才の評判をほしいままにしていた彼がきつく叱られたのは初めてのことだった。

「一流は負けた後に同じ失敗はしない」

「超一流になれば負けないかも知れないけれど、一流なら負けることもあるだろう。でも一流は負けた後に同じ失敗はしない。もう一度巻き返す力があるんだ。二流、三流はそこまでだが、お前は一流だ。負けを何かに変えろ」

 すると、それまでどんよりしていた桃田の目がパッと色味を帯びた。桃田は大切な何かに気づいていた。

「インドの選手に負けた試合は気合いも入らず、ただ淡々とやっているという感じでした。でも、『お前1人の責任じゃないんだぞ』と言われて、これではいけない、初心に返ろうと思ったんです」

翌日は別人のようなプレーを見せた。

 翌日の桃田は別人のようなプレーを見せた。

 当時世界ランク3位のヤン・ウ・ヨルゲンセン(デンマーク)と戦い、第1ゲームは20−22と競り負けたものの、第2ゲーム21−18、ファイナル21−12で逆転勝利を飾った。

 3日目にもインドネシアのトミー・スギアルトに23−21、7−21、21−15のファイナル勝ちを収めた。いずれも粘り強い勝ち方だった。

 得失点差で準決勝進出はかなわなかったが、終わってみれば社会人になったばかりの頃のような、やる気に満ちた表情を取り戻していた。

 うまくいけば良いが、ダメなときはダメという選手だった桃田が、ダメでも我慢できる選手へと変貌したのがこの大会だったのだ。

 この大会を機に桃田は一気に実力を伸ばしていった。

 元々センスも運動能力も抜群だったのだが、スイッチ一つでここまで変わるかというくらい変わった。UAEから帰国した翌週にあった日本リーグ(現S/Jリーグ)では内容も結果も良く、チームの全勝優勝に貢献して、最高殊勲選手に選出された。

「自分の中でバドミントンに対する気持ちが変わった」

 モヤモヤをすべて振り払って迎えた'15年は、正月明けの始動時から練習内容や食生活をすべて一から見直して1年をスタートさせた。

「それまでの僕は、やりたくない練習はやらない、やりたい練習だけやるというタイプでした。いわばスキルだけでやってきたんです。

 でも、それだけではダメだと気づいた。フィジカルがないと、球がどうしても軽くなってしまう。そう気づいてからは、嫌いだったウエイトトレーニングをしっかりやるようになり、適当に走るだけだったランニングにも自主的に取り組むようになりました。

 自分の中でバドミントンに対する気持ちが変わったと感じました」

ジャンプアップの前には必ず一度沈み込んできた。

 桃田は'15年の年明けから肉体改造に着手した。

 有酸素運動で体脂肪を減らし、ウエイトトレーニングで筋肉をつけ、食生活でも嫌いな野菜を摂取するように変身した。

 それが'15年4月のスーパーシリーズ(シンガポール)初優勝、6月のスーパーシリーズ・プレミア(インドネシア)初優勝、8月の世界選手権銅メダルにつながった。

 そして、肉体改造開始から約1年後の'15年12月、桃田は前年と同じUAEのドバイで行なわれたスーパーシリーズ・ファイナルズで男子シングルスの日本人初優勝を遂げた。

 それから4年以上の月日が流れた。リオデジャネイロ五輪出場は逃したが、'17年から今年1月までの快進撃は目を見張るばかりである。

 今、新型コロナウィルス問題による外出自粛生活の中で桃田が発信するメッセージは、多くのメディアに取り上げられ、子供たちをはじめ多くの人々に力を与えている。

 トレーニングもままならない状況は苦しいだろうが、再びコートに立って試合のできる日が来たときは、もっと輝く桃田を見られるのではないか。

 ジャンプアップの前には必ず一度沈み込んできた彼だけに、期待が膨らむ。

文=矢内由美子

photograph by AFP/AFLO