新型コロナウイルスの影響により、史上初の中止となったセンバツ高校野球。発売中のNumber1002号の野球特集「今だからできること」では、出場予定だった高校にアンケート取材をお願いした。

「今回のセンバツでは、初めて『500球/週』の投球制限が適用されるはずだったが、どう対応しようと考えていたか?」

「高校生投手の育成方針は?」

 こんな「投手」にまつわるアンケートに28校のエース、監督が回答を寄せてくれた。が、その回答でわかったことは、ほとんどすべてのチームが複数投手による起用を実践しているということだ。

 センバツでの投球制限に象徴されるように、近年の高校野球は、故障予防の観点から投手の分業制を推進する声が多い。とはいえ、指導者たちは時勢のみで投手起用を形成しているわけではない。今回、過去の「痛み」と向き合いつつ、複数投手による分業制を採用する3つの高校の監督に注目した。

白樺学園の2枚看板。

「甲子園に出られた年というのは、2枚看板の能力が高かった。ですから、様々なタイプのピッチャーを育成する、試合で起用することは大事なんだな、と感じています」

 そうしみじみと答えてくれたのは、夏は3度の甲子園出場経験があり、この春にチームを初のセンバツ代表校へと導いた、白樺学園の戸出直樹である。

 現在のチームも、エースの片山楽生に2番手の坂本武紗士の安定した投球で、昨秋は全道大会を制した。複数投手の重要性を結果で証明する戸出も、かつては「絶対エースのような大黒柱を育てようとしていた」と漏らす。

大黒柱に頼り切ってしまった。

 投手起用の転換期は2005年だったという。

 この年、2年生ながら主戦を務めていた中川祐輔は、高校入学早々から実戦登板を重ねる、まさに戸出が欲していた大黒柱だった。

 春の全道大会初戦で、前年夏に全国制覇を達成した駒大苫小牧を撃破し、大会後の練習試合でも再び土をつけた。同校の選手たちは後に夏に甲子園連覇を果たす上で「大きなきっかけだった」と、白樺学園との試合を挙げたが、王者を本気にさせたのは中川の存在だったと言ってもいいだろう。

 駒大苫小牧を奮起させながら、自分たちは北北海道大会の準決勝で敗れた。理由について、戸出は「中川の疲労」と認めている。

「1年の春から投げさせていましたし、連戦連投という起用法でしたから。本当に力のあるピッチャーだったので、私も中川に頼り切ってしまっていたんでしょうね」

 白樺学園は翌2006年の夏、初めて全国の舞台に立った。だが、それは「エース・中川」という金看板によってもたらされた結果ではなく、「刺激を受けた他のピッチャーが頑張ってくれたから」と戸出が言う。この年は2番手の大竹口孝文の急成長が、甲子園を手繰り寄せたのだと、指揮官は強調した。

 戸出は甲子園初出場の原動力となった「2枚看板」を、今も教訓としている。

「やっぱり、絶対エースを育てるだけじゃ限界がある。それを教えてくれたのが、2005年の中川でした」

鶴岡東を変えた10年前のエース渡辺貴洋。

 鶴岡東も“脱・絶対エース”によって、甲子園への道を切り開いたチームだ。

 そして、監督の佐藤俊もまた、投手起用の転換期をはっきりと覚えている。

「10年前の経験が、今の投手育成の礎となっています」

 それは、佐藤にとって苦渋の決断だった。

 10年の夏。山形県大会を勝ち抜くために投手5人をベンチ入りさせたが、故障などコンディション不良が相次ぎ、マウンドを任せられるのはエースの渡辺貴洋だけだった。

 初戦から5試合、準決勝と決勝に至っては延長戦と、まさに孤軍奮闘の力投を見せたものの、甲子園まで一歩届かなかった。

1人の奮闘が複数投手の重要性を物語る。

 予選をひとりで投げ抜いた渡辺の球数は、700球に迫ろうとしていた。この時、佐藤は結果的にエースに依存せざるを得なくなった事実を憂い、今後への危惧を認識したという。

「渡辺はその後も怪我をせず、プロの世界(2012年に育成枠で巨人入団)に進むくらいレベルアップしてくれました。それでも、あの夏の彼の頑張りによって、複数投手の重要性を強く感じました」

 翌年の夏、鶴岡東は佐藤亮太と古市純也の2枚看板を擁し、30年ぶりの甲子園切符を掴んだ。佐藤が監督となって4度目の出場となった昨夏は、2回戦でセンバツ準優勝校の習志野を撃破するなどインパクトを与えた。この年も、エース・池田康平と背番号11の影山雄貴の左腕両輪が出色のパフォーマンスを披露し、チームを支えた。

 佐藤は断言するように、こうアンケートに答えてくれている。

「ひとりの投手に依存せず、投げられる選手全員で戦いたいと考えています」

健大高崎「機動破壊」の裏に。

 健大高崎は、絶対的に信頼できるエースを育てたことによって、光と影を見たチームだ。

 白樺学園と鶴岡東同様、指揮官の青柳博文も教訓となった事例を胸に刻む。自らの理念を強調するように、アンケートには真っ先にこう回答していた。

「故障させない育成、投げ込み禁止、投球数の管理。そのためのトレーニングを重視」

 きっかけは2012年。左腕エース・三木敬太の存在があった。

 初出場のセンバツで4試合中3試合に完投してベスト4。春の関東大会でも初出場初優勝の原動力となった。出塁すれば積極的に盗塁を仕掛ける「機動破壊」で話題をさらったチームではあったが、三木の好投なくしてこの結果は得られなかった。

 そのエースが、本番の夏を目前にして生命線である左肩を負傷した。結果、群馬県大会では4回戦でコールド負け。機動破壊だけでは勝ちきれない。野球は投手が軸であることを、改めて教えてくれた試合となった。

 現在の青柳は、試合での選手の球数や疲労度合いを考慮しながら分業制を採用しているが、投手育成に関しては「先発完投型」に軸足を置いているという。

 だからこそ、ケアには一層、気を配る。

 トレーニングはウエートや初動負荷といった、故障しづらい体を作るメニューを主に取り入れる。実戦では、練習試合での連投は原則禁止。1試合あたりの球数は100球が目安で、登板後2日間はノースロー調整を徹底させる。公式戦も可能な限りこの方針に則り、投手は年2回、かかりつけの病院でメディカルチェックが義務付けられている。

 青柳は苦い過去と向き合うように、真摯にアンケートに応じてくれた。

「2012年に負けた試合を教訓に、投手育成方針を改善できたからこそ、今があります」

後悔なき前進などあり得ない。

 白樺学園、鶴岡東、健大高崎の3校を取り上げたのには理由があった。

――教え子で印象に残っている投手は?

 この問いに指揮官たちは、現在の投手起用に至る重要な分岐点となった、前述の絶対エースの名を挙げてくれたからである。

 当時の起用は、現代の高校野球において酷使といった目を向けられるかもしれない。本当ならば触れたくない事象にもかかわらず回答してくれたのは、指導者と選手の信頼関係が今も息づいているからだ。

 後悔なき前進などあり得ない。

 高校野球の現場が、そう語りかけているような気がした。

文=田口元義

photograph by Sports Graphic Number